徳島の祖谷温泉

 ところで徳島の祖谷温泉に温泉までケーブルカーで行けるホテル祖谷温泉(http://www.iyaonsen.co.jp/)。いつか行ってみたいですね。数年前ですけど。家族と熱海に行ったのですが。よかったですね。温泉は入り放題。朝も入れますし。旅館の食事も普段食べられない物が出ますし。

 ただ祖谷温泉は徳島でも内陸の方で、結構アクセスは不便なのが難点です。でもケーブルカーは魅力的。行ってみたいな~。
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3週間後、自分がどのようにして迎えているのか…

 先週は実習活動で、特にレポート課題が多くなったことにより、平日は毎日3~4時の間に寝て6時50分頃に起きるという生活でした。実習中はメガシャキを飲んでなんとかしのいでしますが、体が慣れない週の前半はもう眠くて、また疲れて、精神的にも結構きつかったです。ただ週の後半になると、体が慣れてきて、なんとか乗り切った感じです。

 実習が始まった当初は楽観論でしたけど、やはりというか、実習は全然甘くはなかったです。来年4月に資格をとって就職して働く予定を立てている立場としては、将来の仕事として不安になっていきます。またこれまで「もっと勉強しておけばよかった」という後悔が…。

 実習はあと3週で終了です(無事に行けばの話…)。とはいえ、ここまでの1日の作業量の重みを考えると、「3週間がとてつもなく長~い」のが今の思いです。3週間後、自分がどのようにして迎えているのか…今の時点では思い浮かびません。

 でもきつい分、成長していると信じ、残り3週間、必死でやるだけですね。

ヤクザ社会における義理掛け

 ヤクザ社会の義理掛けと呼ばれる行事として、主に「襲名祝」「盃事」「放免祝」「葬式」があります。一般社会における慶弔の行事に値するのが、ヤクザ社会の義理掛けです。襲名祝は組織の長の襲名に関する行事で、つまり組織のトップ交代を告げる祝い事です。盃事はヤクザ社会における儀礼的な「家族関係」を結ぶ行事です。主な盃事として、新たに二次団体の長になった者と1次団体の長との間で結ばれる親子盃があります。「盃直し」とも呼ばれています。「親役」は1次団体の長で、「子役」は2次団体の長となります。親子盃以外の盃事として、2つの1次団体の重要幹部同士による兄弟盃があります。山口組と稲川会は、1972年に重要幹部同士2組の義兄弟盃を交わしたことにより、「親戚関係」つまり同盟関係に至りました。襲名式の場でも、襲名盃(代目継承盃)という盃事が行われます。放免祝は、組織の為に服役していた者が刑期を務め上げた際、開かれる祝い事です。ヤクザ組織の強さの源泉の1つに、懲役刑が組織内の「上昇経路」として組織内で裏付けされていることがあります。つまり慣例的に、懲役刑を経た組員は重要役職を与えられて組織内で優遇されます。懲役経験者を優遇する仕組みにより、ヤクザ組織は犯罪行為を恐れなくなるのです。放免祝は、ヤクザ組織の活力を保つ為に、重要な祝い事として位置づけられています。ヤクザ組織の長や重要幹部の葬式に出席することも、ヤクザ社会では重要なことです。
*今回記事を作成するにあたり、『現代ヤクザ大事典』(実話時代編集部編、2007年、洋泉社)、『実話時代』2014年10月号、『血別 山口組 百年の孤独』(太田守正、2015年、サイゾー)の情報を参考にさせて頂きました。

 葬式は他の義理掛けと異なる性格を持っています。長や重要幹部の死は、後継トップや今後の組織形態を巡り、内部分裂の要因となります。該当ヤクザ組織にとっては、葬式は暗い場です。一方、葬式を訪れる側、つまり他団体の長や重要幹部にとって葬式は、「存在を示す」場となります。葬式の香典、葬式に至るまでの交通費などの費用により、葬式に出席するのには負担が掛かります。しかしあえて他団体の葬式に出席を重ねることで、「義理堅い人物」という評価を他団体から得ることができます。襲名祝、盃事、放免祝の3つは対内的意味合いの強い義理掛けである一方、葬式は対外的意味合いの強い義理掛けと言えます。公の活動が制限されるヤクザ組織において、他団体との公な接触機会は限られています。よって一層、葬式が「人物評価」の場として強く機能してきます。

 一般社会においてもあてはまることで、冠婚葬祭の出席は、社会人としての評価を高めることになっています。しかしヤクザ社会において、義理掛けの行事は縮小傾向にあります。背景には、警察当局のヤクザ組織に対する取り締まり強化があります。葬式においては、ヤクザ組織が主体的に行う組葬の実施が難しくなっています。セレモニーホールや寺院を、組葬として借りることができないからです。結果的に、家族の葬儀として営む形になり、ヤクザ組織の参加者は限られることになります。ヤクザ社会において、葬式の場が果たしてきた役割が薄まりつつあります。また放免祝いは、暴対法第4次改正で禁止されて、公にすることはできなくなりました。

色々話せてよかったです

 今日約1ヵ月ぶりに東京の学校に行ってきました。国家試験の願書と受験票に関することでした。実際、その場で書けるところはもう清書して、事務の人に確認もしてもらいました。あとは、受験料を振り込んだり色々としないといけないのですが、何ですがあの受験料の高さは数万円ですよ!!はあー。でも払わないとねー、また郵便局で払う必要があるとのことで、実習中の昼間に訳を言って、抜ける必要があり、何だかまた大変です。

 でも今日は久しぶりに皆と再会できて、色々と話せたのはよかったです。それだけで良い1日でした。皆頑張っているようです。ただ先生が「これまで実習地訪問に行って、実習先のバイザー(担当の言語聴覚士の先生のこと)に話を聞いていると。この学年結構やらかしています。挨拶ができないというレベルから指摘されることが複数あって…」という話をされました。

 苦労しているのは自分だけじゃなかったのだなと思いました。あと、前々から思っていたことですが、クラスメートの中には結構社会性がまだ至っていない人も多くて、実際僕も学校生活の中で苦労させられたり、びっくりしたことがあります。やっぱりそう言う人は、現場で注意されたりしているんでしょうね。そのレベルに関しては、正直同情しないです。

 でも普段の学校生活で、真面目に勉強されて行儀よく過ごされた方が、実習先で苦労しているという話を聞くと、同情してしまいます。応援です。

 自分も必死でやらないといけない立場なのでね。必死に明日からやっていきます!!

LINEの「知り合いかも?」の所に、知らぬ女性の名前が!!

 ガラケー持ちの僕もパソコンでLINEをやっております。ほんとはやりたくなかったんですけど、昨年学校の1年生時のクラスで「クラスの連絡事項を伝える為に専用のLINE作りました」ということになって、当時LINE入ってなかったのは僕だけという状況になり…しばらく経って…。テスト情報とかは別途、心優しいクラスメートが僕だけにメールで送ってくれていました。

 しかしさすがに申し訳ない気持ちになり、パソコンでもLINEをできることが分かり、LINEをやり始めた訳です。確かにクラスの連絡が入るのは、便利です。

 びっくりしたのが「知り合いかも?」という所に、学生時代の友人や昔お世話になった人の名前が現れたことです。学生時代の友人がLINEを通じて連絡することもあって、結構皆LINEを利用してんだなーと思う次第です。

 そこに先日全く見覚えのない名前が出てきたのです。それも女性。それも何となく若そうな感じ。当然、同級生やその付近の年代の女性は30も過ぎている訳ですから、結婚していていると姓が変わっいる可能性が高いです。よって名前のところに注目して、昔を思い出したのですが、その名前が付く人と電話交換した記憶があまりない…のです。合コンなんて行かないものですから。

 なので目下、気になって仕方がないのです。まあ、結局、「あー。あの人ね」という感じで気づくのかなー。

一日だけ東京帰ることに

 昨日(今日の感覚だけど)は、久しぶりに結構な時間寝ることができました。やっぱり普段足りてないということがよく分かりました。

 でも実習も残り4週間です。8週間の実習なので、折り返し地点まで辿りつくことができました。よくぞここまでと感慨深くなりたいところですが、正直実習の課題やらで、日々の疲れやらで、なんだがもうそんな気分には浸りません。

 昨日は家にいて、疲れていたこともあり、なんだがダラダラして過ごしてしまいました。でもレポート修正などやることはやりました。コツコツ、コツコツとやっていきます。

 ちなみに今日はお昼に、東京の学校で国家試験の書類(願書?)書きがあります。なので朝電車に乗って東京に戻ります。とりあえず朝アパート寄って、荷物を置いて、様子を見て、その後電器屋さんでプリンターのインク買って(実習地の近くには歩いて行ける大きな電器屋さんが見つからないので)、お昼には学校に行く予定です。そして終わったら、そのまま実習地に戻るというスケジュールです。なんだが慌ただしいです。

 久しぶりに皆に会うことになるので、ちょっと緊張というか、ドキドキしますね(もちろんドキドキするのは全員じゃないですけど)。ただ遠隔地に行っている生徒は今日来れない場合は、郵送で書類を送るとのことです。僕もそれを考えたのですが。やはり、大事な書類なので、書き方が分からなくなって、1人で悩むよりも、学校に行った方が良いと判断しました。

 ともかく学校では実習の話で、皆盛り上がるんでしょうね。

舞台公演にレベニュー・マネジメントを

 集客力の高低を問わず、舞台公演ビジネスの悩ましさの1つに「売上の上限」があります。舞台公演の売上は主にチケット収入から成ります。「会場の席数」×「公演数」=全体のチケット数という式になります。つまり会場500席、5公演、チケット料金が一律で3000円という舞台公演の場合、売上の上限は750万円となります。その舞台公演を見たい人が多くても、受け入れる器が一定の為、需要層全てを売上に反映させられません。売上増の機会を逸しています。
*今回記事を作成するにあたり、『異業種に学ぶビジネスモデル』(山田英夫、日経ビジネス人文庫)の情報を参照させて頂きました。

 しかし実際の舞台公演ビジネスは有限性を巧みに利用しています。有名俳優が集う集客力の高い舞台公演の場合、実際のチケット数より応募数の数が多いです。抽選等でチケットを割り振る形になり、残念ながらチケットを手にできない応募者が出てきます。購入できなかった応募者の存在は「チケットの希少性」を実証する役割を果たします。運良くチケットを購入できた層は「チケットの希少性」を認め、チケットに対して払った高額金に正当性を与えます。希少価値は有限性から生まれます。公演側は「チケットの希少性」を訴求する形で高額料金を設定しているのです。席数と公演数は固定的ですが、チケット料金は変動的です。舞台公演ビジネスは「売上の上限」を超えられませんが、チケット料金を上げる方法で「売上の上限枠」自体を上げることができます。

 舞台公演に限らず、受け入れる器が一定のビジネスは存在します。ホテル、航空等です。各業界はレベニュー・マネジメントという方法を取り入れています。レベニューは「総収入」という英語訳の意味です。総収入を最大限に拡大させる手法がレベニュー・マネジメントです。ホテルの予約サイトを覗くと、同じ客室にも関わらず、日によって料金が異なっています。観光客が利用するシティホテルの場合、金土の曜日、夏休みや年末年始の時期、客室料金は高くなります。それ以外の日の客室料金は安くなっています。一方、ビジネスマンが使うビジネスホテルは、その逆の料金設定になっています。需要の多い日は高料金にして、売上増を図ります。一方需要の低い日は低料金にすることで、需要を喚起する狙いがあります。需要に応じて価格を変動させることで、全日同一料金での営業よりも、多くの収入を見込めます。各ホテルにはレベニュー・マネジメント係がおり、長年の経験を基に料金を設定してきました。また近年はレベニュー・マネジメントの役割を担うデジタルサービスも増えています。

 舞台公演ビジネスでもレベニュー・マネジメントの要素を既に取り入れています。「席の位置」によって料金を変えています。舞台に近い席は需要が高く、舞台から遠い席は需要が低いです。よって舞台に近い席ほど高料金で、舞台に遠い席ほど低料金に設定されています。しかしホテル業界のレベニュー・マネジメントのように、日によって大幅に料金を変動させる仕組みを舞台公演ビジネスでは見掛けません(数百円単位の料金変動は見掛けますが)。実験的ではありますが、面白い取り組みになるかもしれません。実際平日の昼公演と、休日の夜公演では、客の入り数が異なります。

 仮に、中小規模ながら人気が高い劇団があったとします。ある週の木曜日から日曜日の4日間昼・夜の部、計8公演を会場200席のA劇場で行うパターンが定着しています。チケット料金は一律3000円で毎回販売していました。土・日曜日の4公演のチケットは毎回すぐに売り切れます。売り切れた後も予約の電話が多数掛かってきますが、当然その人達はチケットを入手できません。一方、木・金曜日の4公演は、客は各部150人程度です。土・日曜日のチケットを希望するものの入手できなかった人に、劇団はいつも木・金曜日の公演を薦めるものの、「仕事がある」という理由で断られていました。劇団としては「土・日曜日公演から漏れた潜在的客層」を「木・金曜日公演の新しい客層」に置き換えたいです。

 平日に仕事を持つ人にとって、「木・金曜日公演チケット」と「土・日曜日公演チケット」の価値は大いに異なります。当然「土・日曜日公演チケット」の方が価値は高いです。劇団は同じ価格で売るので、両者の価値の差に変化はありません。しかし大幅な価格差を設けることで、両者の価値は等しくなります。「木・金曜日公演チケット」を2000円、「土・日曜日公演チケット」を4000円という料金設定に変更するのです。2000円の価格差に魅かれて、有給休暇を取ってまで木・金曜日公演に見に行く人が出てくるかもしれません。「土・日曜日公演チケット」で見る人にとって1000円の値上げになりますが、チケットを取るのが難しい公演の為、受け入れる余地があります。ちなみに一律3000円で全公演全席売れた場合、480万円(200席×8公演×3000円)の売上になります。一方、2000円と4000円と価格差を設けた上で全公演全席売れた場合(200席×4公演×2000円+200席×4公演×4000円)、同じく480万円になります。大幅な価格差を設けることで、逃していた客層を取り込むことができます。

己の行動のみ

 毎日実習の課題が増えて、大変です!!それに応じて、目に見えて成長していればいいのですが、急には伸びないものです。先生の求めてくるハードルは高いです。ハードルをなかなか乗り越えられないので、辛いというか、歯がゆいという気持ちになりますが、ただ正直そういう想いに浸っている暇がなくレポート作成や検査準備に追われています。なので、今の自分を冷静に見つめる作業ができていません。

 僕は2年制の専門学校に通って、言語聴覚士を目指しています。2年という短い期間なので(3年制や4年制のところもあります)、やはり実習先では知識不足や勉強不足を痛感します。でも自分としては、2年制のタイトなスケジュールを乗り越えてきて、サボっていた感覚がないだけに、なんだが辛いです。

 でも結局のところ、思い至ったのが、外部や他人のせいにしては何も解決しないということ。環境がどうとか、僕も結構言いがちですが。やはり自分の道は、独力で切り拓かねばなりません。他者に少しでも、依存する気持ちがあれば、己の持っていた行動の熱量はやはりどうしても下がってしまいます。どういう環境だろうが、どういう展開に追い込まれようが、開き直って、やることをコツコツとやり、果敢に行動していれば、いずれ道は開かれると信じています。外部や他人のせいにして、自らのやるべきことに注ぐ力を落としていては、道は閉じていくばっかりです。

 振り返れば、逆境に負ける自分じゃありません。学校に入っても、通してきたことは通してきました。安目を売るつもりはありません。その意思を常に持って、実習期間過ごしていきたいです。空気は読むものではなく、吸うもの。読むのは教科書で充分です。実習の目標は、失語症の人や言葉に困っている人をしっかり助けられる言語聴覚士に近づくためにあります。逃げの姿勢では、実習期間はなんとか切り抜けても、今後の職業人生は暗いものとなります。

 結局、己の明日の運命を決めるのは己の行動のみ。そして世の中を変えていくのはまず己の第一歩と信じ、行動あるのです。

年齢なんて関係ありません

 月曜日は、土曜日が実習日ということで、振り替えで休みでした。実習に関する書類作成もやりつつ、雑誌とかも読めたので、リフレッシュできました。

 秋の実習が始まって、約3週間過ぎました。自分の至らなさに反省することが多いですが、なんとか今の所は進むことができています。8週のうち3週が過ぎたということは、期間としては1/3が終わりました。正直、嬉しい気持ちはあります。ただ実習の忙しさや緊張感、またこれからの課題が待ち受けていることなどで、嬉しさの感情の度合いがあまり高まらない感じです。やはり8週全て終わり、正式なレポートも無事に提出済みになった時に、感じるですかね。その時を楽しみにて、頑張ります。

 秋の実習は思っていたより、きついです。夏の実習と違い、2回目の実習なので、求められることも多く、また日々書類作成などですることが多く、心身ともに結構厳しいです。
 
 でもここでへこたれる訳にはいきません。僕はヤワじゃありません。サラリーマンやめて、今の学校に入るまで、約7カ月ほど仕事探しでさまよっていた時に、立場が立場なだけに「君ね。30過ぎて、自分の道が決まらず、何してんのよ」と面接で言われたり、「あんたさー。30過ぎてんでしょう。何やってきたのよ」とか言われたりしました。悔しかな、心では「うるせえ。言ってろ」と反抗しつつも、会話場面では何も言い返せなかったです。まあ、そんなこちらの立場を見て、物を言えない奴らは、いつかギャフンと言わせるとして。ただ、言われたこと自体が悔しくて、やっぱりもっと強くならないといかんと思ったのです。

 でも、7カ月ほどの失職期間で色々受けたこと、考えたことが自分の何かの糧になったと思います。それから学校入って、また結構苦労することが多かったですけど、そこでもまた自分なりに意地を通してやってきました。多少自分への自信がつきました。日々、多くの人と接する学校空間の影響で、自分から食事に誘うなど昔より社交的になれたのも、自分の成長としてはあります。

 思えば、秋の8週の実習は、これまで培ったことをぶつける機会です。ここで自信をつければ、仕事としてやっていく展望も見えてきます。国家試験そして、就職活動にも力が入ります。

 クラスメートとは、ラインでつながっているのですが、最近ラインがあまりありません。夏の実習もこんな感じだったので、皆同様に頑張っているんでしょうね。

 あと最近思うのが。何かを始めるのに、年齢なんて関係ないということです。年齢なんて、はじめのうちだけ気にされるだけで。あとは関係ないです。年齢のことばっかり言って、余計なことを負わせようとする連中は程度が低いとみなし、相手にしないことです。

 という訳で、ともかく、常在勉強、常在観察、今週も全力で走りきるのみです。皆さんも今週、諦めずに、頑張っていきましょう!!

メガシャキにお世話になっています

 実習先から仮住まいのスパートに帰るのは19時頃で、それから夕食やら色々やって、その後レポート作成をするのですが。先週から夕食を食べると眠気に襲われて、少し仮眠をとることにしました。21~22時頃に起きて、レポート作成して、寝るのが2~3時の間になります。起きるのは6時半。

 正直起きれるのかと心配でしたが、ちゃんと起きれました。実習中、多少の眠気がありますが、緊張感もあり活発に過ごせています。但し、午後の13~14時あたり、昼食の影響もあり、どうしようもなく眠気に襲われてしまいます。しかしその時間は、訓練時間の最中で、僕は見学をしています。自分が検査することも増えてきているのですが、まだまだ見学することが多く、集中して見聞きする為、眠気に襲われやすいのです。ただ実習生でない限り、見学なんてできません。患者さの前でもあります。当然、眠りに落ちることは、あってはなりません。

 なので、腕の至るところもつねって、眠気を覚ましていました。でも体にあとが残って、なんだが微妙です。あと栄養ドリンクも飲んでいたのですが、それはあまり効き目がありませんでした。いつも眠気に襲われた時思うのが、ギンギンに冷えたプールに飛び込みたいという気分になります。


 そこで以前から知っていたのもの、手を出さなかったこれを買ってみることに。

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 メガシャキです。飲むとほんとうに、口内に刺激が入ります。午後の活動前に飲んでみると、けっこう効きます。たださすがに、午後の最初の方は眠気はきますが、以前よりも軽い眠気なので、耐えることができます。値段は1本200~250円と、ちょっとお高めです。でも実習中の活動の質を落としたくないので、当分はメガシャキにお世話になります。

非指定団体のヤクザ組織

 ヤクザ組織は一般的に「指定暴力団」と表されています。「指定」という言葉は、1992年施行された暴対法から来ています。暴対法の正式名称は「暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律」です。暴対法は、効力の対象となる団体を予め「指定」することに特徴を持つ法律です。「指定」されていない団体には暴対法は適用されません。指定する役割を担っているのが都道府県公安委員会です。「指定」を決める要件として、「組織的暴力を背景とする資金獲得」「組織犯罪の前科を持つ構成員の割合」「階層的な組織構成」の3つがあります。例えば「組織犯罪の前科を持つ構成員の割合」の場合、組織犯罪の前科を持つ構成員の割合が一定以上の団体であれば、「指定」されます。逆にヤクザ組織と公にしている団体でも、組織犯罪の前科を持つ構成員の割合が少なければ、理屈上「指定」されないことになります。
*今回記事を作成するにあたり『現代ヤクザ大事典』(実話時代編集部編、2007年、洋泉社)、『六代目山口組ドキュメント2005~2007』(溝口敦、2013年、講談社+α文庫)『実話時代』2014年11月号・2015年2、7月号・2016年4月号の情報を参考にさせて頂きました。

 暴対法による指定を受けないヤクザ組織(指定暴力団から分裂した勢力を除く)として、東京都の東亜会(2016年10月東亜会は東声会に組織名を改称)、兵庫県の松浦組と忠成会、熊本県の熊本會などがあります。東亜会は、1947年頃に興された東声会を源流としています。東亜会の初代会長町井久之は1963年、山口組三代目組長の田岡一雄と兄弟盃を交わし、田岡一雄の舎弟(「弟分」を示す用語)になっています。町井久之はプロレス興行の役員であったことから、プロレス業界に影響力を持っていました。その後、組織名が「東亜友愛事業組合」→「東亜友会」→「東亜会」と変更されてきました。1963年トップ同士の兄弟盃を交わして以降、山口組との関係は現在も継続されています。また東亜会は関東二十日会の参加メンバーでもありました。関東二十日会は、住吉会や稲川会など関東を活動拠点にする博徒系ヤクザ組織により1972年に作られた親睦団体です。関東二十日は2014年解散、山口組2次団体・國粹会を新たに加えて、関東親睦会を発足させています。東亜会(現・東声会)は山口組のみならず、関東のヤクザ組織とも結びつきを持っています。

 松浦組と忠成会は戦後の神戸から活動を盛んにしてきました。松浦組は1960年代の東映任侠映画における水面下の「調整役」を担っていました。任侠映画の話の元になったヤクザ組織やロケ地先のヤクザ組織との交渉を務めていました。現在のトップは二代目組長の笠岡和雄です。笠岡和雄は、1982年に結成された右翼団体・大日本新政會の総裁も務めています。大日本新政會は右翼活動に加えて、大手芸能プロダクション・バーニンプロダクションを批判しています。

 熊本會は1991年に結成された熊本連合を源流としています。熊本連合は名前が示すように連合組織で、「上下関係」を持たない組織でした。熊本県を地盤とする、山野会、大久保一家、大村一門、西心会、虎門会の計5つの独立団体が加盟していました。しかし2005年、一部の勢力が山口組や道仁会に移籍したことで、熊本連合は解散に至ります。独立団体の道を選んだ大村一門と虎門会は同年、熊本會を立ち上げます。熊本會は親分子分の関係つまり「上下関係」を取り入れた組織です。初代会長を虎門会出身の森原健次、二代目会長を大村一門出身の戸崎豊、現在の三代目会長を虎門会出身の森原秀徳としています。三代目会長森原秀徳は初代会長森原健次の実子です。また森原健次は二代目体制以降、総裁職に就いています。熊本會は立ち上げた2005年、工藤會、道仁会、太州会で結成されている親睦団体・三社会に入ります。以後三社会は、四社会に組織名が変更されます。四社会においては、各最高幹部などが月に一度集まり、会議が行われています。月当番の仕事は持ち回りで各団体が務めます。同じ親睦団体の関東親睦会における集まりは、最高幹部らによる年4回の食事会です。広域1次団体において、1次団体トップと2次団体トップが集う会議が月に一度開催されています。四社会の「月に一度の会議」から、四社会内の強い結び付きが窺えます。

諦めないぞ!!

 今日というか日付的には昨日実習において行ったことのレポート作成が今終わりました。先週から、実習日がある日は、こんな感じで日をまたいでの書類作成の作業に追われています。それに加えて、検査の準備もしなくてはいけなくて、大変です。

 言語聴覚士としての評価する視点が弱い中、レポートを書く訳なので、書いてもダメ出しを受けて、結構ハードな日々です。

 でも安目を売らずに、頑張るのみです!!そして良い言語聴覚士になることを諦めずに、最後まで尽力するのみです。

和歌山、京都と不穏な展開になってきました

 和歌山での山健組傘下団体のトップ殺害事件は衝撃でしたね。山口組側の組員との小競り合いの結果で起きたことは、おおよそ推測されます。山健組にとっては分裂抗争が始まって初めて直参が死亡するという事態だけに、看過はできないでしょう。

 あと京都では、会津小鉄会と弘道会が「後見」を巡り、不穏な動きがあるとのことです。弘道会側の交渉人が弘道会の中野若頭で、確かに実質的な力は絶大なのでしょうが、ヤクザ社会の建前で言えば3次団体のトップであります。1次団体側の交渉人としては不適格であります。恐らく、弘道会もそれを知っての、強気な態度なのでしょうが。

 不穏な展開になってきました。

秋ですね

 実習先ではようやく見つけた散歩コースは、農道みたいな道です。でも車がほとんどこなくて、信号もなく、辺りは田んぼが多いのでお気に入りです。

 稲刈りをしたようで、先日まであった稲がなくなっていました。もうそんな季節なんですね。
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やっぱりコメダ珈琲のコーヒー美味しい

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 今の住まいのアパート近くのコメダ珈琲にて、ミックストーストとたっぷりブレンドコーヒー。2つとも結構なお値段ですが、ご褒美ということで。

 やっぱりコメダ珈琲のコーヒー好きです。でも高いのが難点。たっぷりブレンドコーヒーで520円。普通サイズのブレンドコーヒーで420円です。

 しかし美味しいので、今回コメダ珈琲にはまったことで、東京に帰っても行っちゃいそうです。あの無料で提供される豆も良いですね。あとおしぼりも。あといつか、アイスコーヒーも飲んでみたいですね。

土建業も営んでいたヤクザ組織

 一昔前までは、ヤクザ組織が正業の土建会社を経営することがありました。戦後、復興事業に食い込む為に、土建会社を設立するヤクザ組織が増加しました(*1)。軍施設の多い広島では、ヤクザ組織が解体業務の為に、多くの土建会社を設立しました(*1)。大阪の独立団体・酒梅組は土建業の組織として「酒梅組」を登記した過去があります(*1)。戦時中も、ヤクザ組織が「土建業の仕事」として軍の基地を作っていました(*1)。またヤクザ組織の中には、ヤクザ組織の要素を捨て、正業の土建会社のみの組織として活路を見出した組織もありました(*1)。

 大阪にかつて、い聯合(れんごう)というヤクザ組織がありました(*2)。池田大次郎を初代とする組織で、1993年1月い聯合は解散します(*2)。組織の解散を決めた三代目会長松井毅は、ヤクザ組織のトップ在任時から、大阪堺市を中心に土建業を営む経営者でもありました(*2)。松井毅の土建会社は、上場企業の大手建設会社からの下請け仕事をしていました(*2)。暴対法の施行前という時代もあり、ヤクザ組織に対して社会が寛容でした。しかし松井毅は1993年5月6日、経営する土建会社内で、い聯合の元メンバーに銃殺されます(*2)。

 また炭鉱業と近いヤクザ組織もありました。九州の独立団体・太州会は「炭鉱暴力団」と呼ばれる組織から発展してきました(*3)。当時太州会は、炭鉱労働者の「まとめ役」の仕事をしていました(*3)。太州会は、炭鉱が沢山あった筑豊一帯で勢力を張ってきたヤクザ組織です(*4)。

<引用・参考文献>
*1 『ヤクザ1000人に会いました!』(鈴木智彦、2012年、宝島SUGOI文庫), p142~143
*2 『ヤクザの散り際 歴史に名を刻む40人』(山平重樹、2012年、幻冬舎アウトロー文庫), p236~243
*3 『ヤクザ1000人に会いました!』(鈴木智彦、2012年、宝島SUGOI文庫), p25
*4 『現代ヤクザ大事典』(実話時代編集部編、2007年、洋泉社), p163

ホワイト餃子

 ホワイト餃子という餃子の種類があるそうで、全国的にお店(http://white-gyouza.co.jp/)があります。

 細めの形態と異なり、丸々した形態が特徴です。気になります。東京だと小岩や巣鴨にあるので、機会があれば行ってみたいです。味はどんな具合でしょうか。

辛い時こそ、見せどころです

 ようやく今、明日(日付的には今日)、実習の提出書類作成が終わりました。19時半ぐらいから、ほぼほぼ休みなしでやって、もう寝ろよというところですが、気持ちだけでもここで出さないとなんだかなーと思いまして書いております。

 実習2週目、結構ハードワークできついです。週末も準備色々してましたが、色々と足りないことが見えてきて、やることが多くなってほんとに…大変です。

 でも今が、伸びる時期と考えて、頑張ります。実習は11月下旬には終わる訳ですし(無事にいけばの話ですが)、限りがあると思えば、多少のきつさは我慢できるはずです。自分はそんなに弱くないです。知らぬ地方都市で一人暮らし。孤独ですが、これまでも孤独でも強く生き抜いてきました。耐えて、今以上に強くなってみせます。

 辛い時こそ、見せどころです。失敗を恐れず、ただ行動あるのみと、前に向かって走るのみです!!

コメダ珈琲のコーヒー、美味しいです!!

 最近、(仮住まいの近くにあるので)コメダ珈琲のコーヒーを飲むのですが、結構好きですね。あの濃い感じ、あんまりよそにはない味ですよね?コメダ珈琲でしか味わえない独自性があって、はまっちゃいそうです。

 僕はチェーン店であれば、これまで、ルノアール、ベローチェ、ドトールのコーヒーが好きです。よく飲むマクドナルドさんのコーヒー、そしてスタバさんのコーヒーは、「好き」という具合にはならないですね(書き方が難しい)。やっぱりコーヒーも好みがあるんだなと思います。京都はイノダコーヒがありますが、独特ですが、これまた「好き」という具合にはなりません。

 ちなみに僕の今いるところにおいて、ルノアール、ベローチェ、ドトールが現時点で見つかっておりません。こいうのも慣れていかないとですね…。ともかくコメダ珈琲を週末の楽しみにして、頑張っていきます!!

業界内で通用する書き方

 実習1週目がなんとか無事に終わって、週末(土日が実習生は休みです)は宿題をやりつつも、仮住まいのアパート近くにゲオがあるので海外ドラマを借りて見たり、街を散歩したりして、過ごしておりました。

 とはいえ、始まったばかりなので、何だか気が休まらないというのが実感です。どうしても実習のことばかり考えてしまいます。でも言語聴覚士になる為の成長の機会と捉え、宿題以外にも、勉強に時間をあてるように休日はしておりました。

 先週からやっていることの1つに、現役の言語聴覚士の人が書いた「原著論文」の文章を読むことがあります。失語症や高次脳機能障害に関することを書いた学術論文です。学校のグループワークの作業においてしか、これまで読みませんでした。正直、1年生の時は内容が難しかったです。ところが、今だと、原著論文の中で使われている言葉を多少理解できるようになり、前よりも抵抗感なく読めます。

 読む事で、知識を蓄積することが目的ですが、「文章の書き方」の勉強も大きな目的の1つです。夏の実習で指摘されたのが、「文章の書き方」です。リハビリ職を目指す者にとって、「業界内で通用する書き方」を身につける必要があります。夏の実習でよく注意されたのが、「君の言葉じゃなくて専門用語で表して」「言葉を統一して」というものでした。結局、言語聴覚士として仕事に就いた場合、検査やリハビリをするのに加えて、その内容を文字化して残しておく必要があります。なので、リハビリ現場では、業務の合間や残業時間に皆さんパソコンで打ち込まれております。

 文字化すれば、お医者さんや他のリハビリ職もそのリハビリ内容や患者さんの状態を確認できます。第三者に見せるので、分かりやすい文章を書く必要があります。しかしその対象者は医療関係者であるので、それに応じた書き方をせねばなりません。一般人向けの表現に過ぎると、冗長に感じられるのです。なので共通言語の「専門用語」を使って、文章を短くさせることが求められます。書き手個人の独自性も当然要りません。確かに、自分が業務上読む立場になると考えると、「業界内で通用する書き方」を身に付ける必要性を実感します。

 よってその為には、現役の方々の日々の書き物に目を通すことが、一番の勉強になりますが。実習生の身では、個人情報の問題もあり、それは難しいです。そこで思ったのが原著論文です。原著論文は、専門用語で埋め尽くされ、書き方も非常に厳格です。原著論文を読むことで、自ずと「業界内で通用する書き方」に近づいていければと思った訳です。

 真似たい文章をよく読んで、書き写す練習の方法ですね。粘り強くやっていきます!!

極東桜井總家連合会

 かつて極東会と同じテキヤ組織であり、極東会同様「指定暴力団」の指定を公安委員会から受けた極東桜井總家連合会というヤクザ組織がありました。極東桜井總家連合会の初代は、桜井庄之助という人物です(*1)。桜井庄之助の子分の1人が、極東会の初代にあたる関口愛治です(*2)。桜井庄之助は1921年静岡県の沼津で独立を果たします(*2)。しかし1924年、桜井庄之助は36歳で引退します(*2)。桜井庄之助の設立したテキヤ組織(桜井グループ)はその後も活動し続けていきます。

 1961年関口愛治グループを軸に、桜井グループ、横浜の飴徳グループ、山形の研谷一家、三重の橋本組らが参加して、極東愛桜連合会が結成されます(*3)。しかし1964年以降の警察庁のヤクザ組織への取締り強化の結果、1967年極東愛桜連合会は解散に至ります(*4)。1967年以降、桜井グループは極東桜井總家連合会を組織名として、沼津を拠点に活動していきます(*4)。一方、関口グループは、1979年極東関口会を結成、1990年極東会に組織名を変更させ、現在に至っています(*3)。暴対法が施行された1992年の翌年(1993年)、極東桜井總家連合会はテキヤ組織として初めて指定暴力団の指定を受けます(*1)。その後、同年に極東会も指定暴力団の指定を受けました(*5)。

 奥州会津角定一家は、福島県福島市に拠点を置く山口組2次団体の組織です。七代目総長の波入信一は、極東桜井總家連合会の構成員だった時代があります(*6)。波入信一は、福島で実父が親分だったテキヤ組織(奥州桜井一家古市分家波入組)の跡目を実父から引き継ぎます(*6)。2004年、奥州桜井一家古市分家波入組は極東桜井總家連合会に加入します(*6)。しかし後に、極東桜井總家連合会は複数に分裂する事態に陥ります(*6)。波入信一は山口組2次団体の芳菱会(現在の國領屋一家)に移籍、また2009年には弘道会に移籍します(*6)。その翌年の2010年、波入信一は「弘道会の預かり」となっていた奥州会津角定一家が内部昇格する際、奥州会津角定一家のトップに就任することになりました(*6)。

 波入信一が山口組2次団体の芳菱会に移籍する要因となった極東桜井總家連合会の分裂により、極東桜井總家連合会はその後事実上解散に至りました。

<引用・参考文献>
*1 『現代ヤクザ大事典』(実話時代編集部編、2007年、洋泉社), p163~164
*2 『SANWA MOOK ウラ社会読本シリーズ⑤ 極東会大解剖 「強さ」を支えるのは流した血と汗の結晶だ!』(実話時代編集部編、2003年、三和出版), p10
*3 『SANWA MOOK ウラ社会読本シリーズ⑤ 極東会大解剖 「強さ」を支えるのは流した血と汗の結晶だ!』, p12~14
*4 『SANWA MOOK ウラ社会読本シリーズ⑤ 極東会大解剖 「強さ」を支えるのは流した血と汗の結晶だ!』, p15~16
*5 『SANWA MOOK ウラ社会読本シリーズ⑤ 極東会大解剖 「強さ」を支えるのは流した血と汗の結晶だ!』, p19
*6 『別冊 実話時代 山口組分裂闘争完全保存版』(2016年10月号増刊), p81
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