あと、とても言いたいことがあります

 やっぱり。

 ときめきたい

 今の日々の生活では、いずれ去る実習生の立場である為、人間関係形成の段階には至らず、ときめくことがありません。学校ではね、想う女性もいたので、ときめくことがあったのですが…。
 人はときめかないといけませんよ。

 でも今は孤高で励むときですかね。寂しそうな顔しとっても、誰も振り向いてくれません。自分で動かないとね。今は振り切り、やるべきことをやるのみです。いつかは、またときめくぞ!
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今週で実習終わりの予定ですが、レポートが大変です!!

 夏の実習が今週で終わりです。ここまで来れば(残り1週間を迎えれば)、結構達成感があるんだろうなと、初めは思っていたのですが。今が一番キツイです。というのはですね、予め実習で義務付けられたレポートが思いのほか大変だったのです。「気づくの遅いよ」という話なのですが。

 実習先の言語聴覚士の方が「先生」となるので、実習中においては、自分のアウトプットが容赦なく否定されるのです。現場レベルに合わせていく過程なので、これを経ないといけないと分かっているのですが、やはり自分の至らなさを連続的に痛感すると心折れます。レポートも結構高いレベルということが分かり、昨日の土曜日は学校に行き、学校の専任の先生にレポートの書き方にアドバイスをもらいました。

 そのおかげで土日でなんとか書けるところまで書けました。明日とりあえずの提出。明日からは色々と訂正が求められます。どれくらいの訂正になるのか分からないので、物凄く不安です。それでも、強い意志でね、やっていくしかないです。自分を最後まで貫き通して、弱い所は意地でも見せません。

 あと学校で先生と話をしていると、実習先では僕の所より厳しい所はあるそうで、まだ僕の所は「実習生に合わせてくれる良心的なところ」ということです。確かに、そういう所は感じます。でも「実習生活自体は楽じゃないですよ」というのが僕の本音です。あまり他と比較するのはよくないですよね。自分の所は自分でしっかり向き合って、解決していきます。とりあえず、2年生の前期過程の集大成が夏の実習です。これが終われば、少し夏休みがあり、秋の実習準備の期間に入ります。思えば、4月の2年生スタートから緊張感を持ってずっとやってきましたので、今週が無事に終われば、少し「気を楽にして」休むことができます。今週が正念場と思い、諦めずにやっていきます。

神戸山口組組長井上邦雄の兄弟分

 昨年夏に起きた山口組分裂劇により誕生した神戸山口組は、分裂元の山口組から絶縁扱いをされたにも関わらず、ヤクザ社会内で「承認」された結果、存在感を保ち続けています。神戸山口組を「承認」した主な1次団体のヤクザ組織としては、酒梅組(大阪市)、会津小鉄会(京都市)、浪川会(福岡県大牟田市)があります。特に酒梅組は神戸山口組支持を明確にしています。酒梅組トップの吉村光男組長は、2013年組長就任時から山口組若頭髙山清司を後見人としていました(*1)。山口組分裂劇後、髙山清司との後見を返上し、結果山口組との同盟関係が解消されました(*2)。酒梅組、会津小鉄会、浪川会の3団体には、共通点があります。各団体のトップが、神戸山口組トップ井上邦雄組長と兄弟分の仲にあるということです(*3)。

 ヤクザ社会の承認において、トップが持つ兄弟分の仲が神戸山口組にとって大いに役立ったことになりました。井上邦雄と浪川会トップの浪川政浩会長は、2009年2月3日神戸の有馬温泉で兄弟盃を交わしました(*4)。酒梅組と会津小鉄会トップとの兄弟盃を交わした時期は確認できていませんが、恐らく井上邦雄が長期服役を終えた2000年以降に、交わされたと推測されます(*5)。2000年以降、井上邦雄は出世街道を駆け上がっていきます。出所後、山健組の中核組織・健竜会のトップに就任、2003年山健組若頭に就任、2005年山健組トップに就任します(*6)。分裂前の山口組において、執行部で大きな影響力を及ぼしていた弘道会を上回る勢力を有していた山健組トップともなれば、兄弟盃を交わす相手を欠きません。

 住吉会の2次団体・幸平一家も当初から神戸山口組の支持を暗に示しています。2015年9月5日、神戸山口組の初会合が神戸市の山健組本部で開かれた際、幸平一家トップの加藤英幸総長が訪れています(*7)。加藤英幸は、健竜会三代目会長山本一廣と兄弟分の仲と言われています(*8)。山本一廣は2000年、山健組から絶縁処分を受けます(*9)。その後を継いだのが、出所したばかりの井上邦雄です。しかし分裂後、山本一廣は山健組に舎弟頭補佐として復帰を認められました。背景として、幸平一家への配慮があったことが考えられます(*10)。

<引用・参考文献>
*1 『山口組の100年 完全データBOOK』(2014年、メディアックス), p413
*2 『実話時代』2016年9月号
*3 同上
*4 『山口組動乱!! 日本最大の暴力団ドキュメント 2008~2015』(溝口敦、2015年、講談社+α文庫), p171
*5 『実話時代』2015年3月号, p22
*6 同上
*7 『密着!ビジュアル決定版 山口組 分裂抗争の全軌跡』(別冊宝島編集部編、2016年、宝島社), p92
*8 『実話時代』2015年12月号, p41~42
*9 同上
*10 同上

色々ありました…でも踏ん張ります

 今週、実習で色々あって、正直精神的にまいってしまうことが多々ありました。自分の実力がないことが原因なんですが、その他にも人間関係で色々とあって、ともかく久しぶりになんだか最悪な感じでした。ただ応援してくれる人もいるので、そこはね踏ん張らないといけませんよね。

 気分転換に買ったのはこの本です。

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 実習で必要な提出物に追われているので、一部分しか読んでいませんが、内容は面白いです。一和会側から語られる話も貴重です。

逆境の時こそ、強い意志を

 今日も実習で色々と反省することがありました。基本的には、検査の練習不足や勉強不足が招いていることが背景にあります。それさえ、きちんとやれていれば、もっとスムーズにそして多少は実習先の先生方にもキツイダメ出しをもらわなくて済んでいたはずです。
 
 自分なりには、ここまで必死にやってきたのだからという思いもありますが、やっぱり現場での評価は真摯に受け止めないといけません。いつまでも弛緩した人達もいる学校の基準に合わせてはいけません。先生方からご指摘頂いたところは、改善していき、勉強をしていきます。

 とはいえ気持ちだけは折れることのないよう、委縮しないよう、自信を持つところは持ってやっていきます。逆境の時こそ、強い意志を示すのです。

 明日も明るく元気にやるのみです。

(目標)今週末は天下一品に行くぞ!!

  数週間前から無性に天下一品のこってりラーメンを食べたくなっていました。今週の実習が無事に終われば、ご褒美にとても久しぶりにこってりラーメンを食べにいきたいと思っています。こってりラーメン、だいぶ長く食べていません。

 京都出身の僕にとって、まさにこってりラーメンはソウルフードです。よく学生時代も食べていました。演劇サークルの皆とも、たまに行ったりしましたね。地方から来ている人は、ものの見事にこってりラーメンにはまっていました。その後、地方に帰った人もいますが、みんな各々の地でこってりラーメンを食べられているのでしょうか。場所によっては、天下一品の店舗が少ない地域もありますからね。聞いてみたいところです。

 ちなみに僕は、あのテーブルにある味噌をたっぷりラーメンにいれて、辛くして食べています。トッピングでねぎも追加します。こってりラーメン早く食べたいです。

心配されていたのか…

 昨日は今週行う検査の為に、学校に行って検査用紙や検査器具を見て、予習しました。実習で遠くに行っている人もいて、明日から後半の実習組も開始なので、誰もいないかなと思いきや…結構同級生がいてびっくりでした。僕と同じように、検査の予習などで学校に来ていました。皆やはり実習生活を熱く語っていましたね。

 あと学校の先生ともお会いしたのですが、第一声が「あー。おー、ちゃんと生きてた?」という驚きというか、安堵というか、そんなニュアンスでした。僕が「楽勝ですよ」と元気よく言うと(もちろん無理して)、「ほんと?まあとりあえず、元気そうで何より」と先生は答えられました。

 つまり僕…先生から結構実習活動を心配されていたことが何となく分かった次第です。有難い話なんですけど。その後「実習で困ったことないか?」とも言って頂き、優しさが身に染みました。その先生は今週実習先に来て頂き、面談をしてくれます。その日を楽しみに、今週頑張っていきます。

 あとクラスメートや隣のクラスの人と実習について話せたので、気が少し楽になりました。皆頑張っているようです。夏の実習もあと2週間。諦めずにやっていきます。

一般企業の資産を流出させるシノギ

 ヤクザ組織は暴力装置を活用する資金獲得団体です。暴力装置とは、法律違反を恐れない行動力や暴力の行使、服役生活に耐えうる人員の存在を指します。暴力装置ばかり注目される側面がありますが、ヤクザ組織は資金獲得団体、つまりお金を手にすることを目標に、存在している組織であります。ヤクザ組織は、「表社会のルール」では収まりきらない問題がよく起きる金融、不動産、土建、風俗などの業界に入り込み、「暴力装置の威光」と「暴力装置」を“販売”してきました。ヤクザ組織から「暴力装置の威光」を買った業者は、「暴力装置の威光」をもとに業界内のトラブルを解決していきます。いわゆるヤクザ組織が業者の「ケツを持つ」という関係です。時に、業者は「暴力装置」自体の利用もしてきました。昔、スナックなどの接待飲食店における「売掛金(飲食代のツケ)の回収」をヤクザ組織が実働部隊として担う場合がありました。『弘道会の野望 司六代目と髙山若頭の半生』(木村勝美、2015年、メディアックス)によれば、ヤクザ業界では「キリトリ」と呼ばれる行為です。ホステスで売掛金を回収できない困った客には、何か強い衝撃が必要となります。ホステス達の売掛金回収においては、「組員の強面の威圧」という「暴力装置」の需要があったのです。とはいえ回収された金全額がホステスの元に入る訳ではありません。「暴力装置」を利用した代償は大きいです。程度の差はありますが、回収された売掛金は折半されました(*1)。

 ヤクザ組織が会社経営に深く関与する場合もあります。深く関与される会社は、「企業舎弟」や「フロント企業」と呼ばれます。『実話時代』2015年1月号「弘道会の「強さ」とは何か」の記事内で、「弘道会では幹部組員のほとんどが正業の会社を経営するなどしているという」(36P)と述べられています(*2)。警察の取締りが厳しい昨今、ヤクザ組織自体が表立って活動することが制限されています。「身代わりの存在」としての企業舎弟やフロント企業は、ヤクザ組織にとって重宝されます。

 また近年では、ヤクザ組織とは縁遠い一般企業を乗っ取り、企業資産を流出させるシノギも現れています。ヤクザ組織の幹部が標的企業の株式を取得する訳にはいきませんので、影響下にある事業者などを利用します。まず標的企業の株式を取得させ、会社経営権を奪います。ヤクザ組織の影響下にある事業者が、収めた企業の経営をしていくことになります。持ち株会社に移行して、ビジネスを実際行う傘下企業から「経営指導料」「顧問料」「不動産賃貸料」という名目で金を親会社に吸い上げていきます(*3)。ビジネスを行う傘下企業は「余分な金」を取られる一方、ビジネスを行わない親会社は「余分な金」を手にする仕組みです。ヤクザ組織の影響下にある事業者達が居座る親会社から、さらに何らかの形で、その資金を社外に流出させていきます。上場企業であれば、新株発行による増資という手段も行います(*4)。株式市場からやってくる資金の多くは、本業に使われず、親会社に流れていきます。会社内の資金の流れには、違法性はないので、表面化しにくいです。しかし本来、本業に使われる資金が削られていけば、会社経営が傾くことにもなります。

<引用・参考文献>
*1『弘道会の野望 司六代目と髙山若頭の半生』(木村勝美、2015年、メディアックス、39P)
*2『実話時代』2015年1月号36P
*3『ZAITEN』2014年9月号「“アジアのマネロン王”に融資する邦銀にFBIの鉄槌」(山口義正、27P)
*4同上

腰を据えて働くには、もっと頑張らないといけません

 今日で実習の半分が終わりました。折り返し地点です。大変ですが、事前にこれぐらいだろうなという予想の範囲内であるので、まあ驚きはしないです。キツイのも専門学校で鍛えられてきましたし。コツコツやっていくのみですかね。働いている人達の中に混じって、教育の一環として、参加させてもらっているので、実習生の立場は弱いですが、それでもめげずに気持ちを強くしてやっております。

 自分で言うのも何ですが、結構真面目に専門学校では勉強や演習、グループワークに取り組んできました。しかし実習に行って、感じたのが、もっと頑張らないと言語聴覚士になれないし、またなったとしても長く働くことができないと思いました。実際働く場所で、言語聴覚士の方々を見ると、皆さん人間的にしっかりしていますし、コミュニケーション能力が高いです。そして仕事のスキルも高いです。実習先がたまたまレベルの高い所だったという訳でもなさそうです。どうやらちゃんと言語聴覚士として腰を据えて食べていこうと考えたなら、それぐらいしっかりしている必要があるのだと思います。

 老いや病気に直面する仕事なだけに、精神的なタフさも求められます。学校のゆる~い雰囲気に合わせていたら大火傷します。それを考えると実習に行ってよかったです。将来に備えて、基準とする所を変えていく必要を感じました。

結構キツイけど

 今日から実習が再び始まったのですが、やっぱりキツイなーと思うこと結構あります。でも、何でもそうですけど、キツイ時こそ、「見せ場」だと思うんですよ。苦難があっても、心を折れずに、コツコツとやるべきことをやり、物怖じせず高い壁に向かっていくことができたなら、いつの間にか乗り越えられはずです。僕が進もうとしている世界は下手に理不尽じゃないですし、ある程度今厳しいのは当たり前の話です。ここでへこたれたら、いけないです。

 なにくそという気持ちで、悔しい気持ちは、しっかりした事をこなして、それで人に評価されて解消するしかありません。安目を売らず、同情を売らず、加えて元気よく、やっていくのみです!!!

前に突き進むのみです

 先週1週間は実習が始まり、しんどかったです。ただ実習先が病院ということで、場所が場所だけに、内容については書きません。病気で辛い思いをされているのは事実な訳ですし、そういう場であったことをあれやこれやと書くのはいかがなものかと思います。将来は病院勤務を希望している僕としては、今後のことを考えても、今から意識していきたいです。色々ありますが、ともかく緊張感を持って、安目を売らずに、必死にやっております。

 ところで先週金曜日の学年全体のラインを見ると、僕と同様実習1週間終わった人達が検査がどうのこうの、実習先の住まいがどうのこうのと語っていましたね。「同情を売ってんじゃーね」と思いましたよ。実習中ぐらい独りで頑張れよと思いましたよ。まあ、さすがにその内容をラインに書き込む勇気はなかったのですが…。

 でも実習以後は、国家試験の勉強も含めて、自分で戦っていかねばなりません。正直、仲間に依存してたようなラクしてた人は辛いでしょうね。孤独でも、自己を磨き強くあれば、道を切り拓くことができます。明日からも、積極性を忘れず、無難にやり過ごすのではなく、全力で前に突き進むのみです。

神戸山口組系の元組員射殺事件

 15日16時40分頃、名古屋市中区のマンション一室で神戸山口組系組員(64)が射殺される事件が起きました。現場から車で逃げる男2名が目撃されており、愛知県警は行方を追っています。2人組の男は被害者がいたマンション宅の玄関ドアから入り、被害者を射殺したと見られています。当時室内には、被害者の知人男性もいました。この知人男性が通報しました。また現場から2キロ離れたところで、逃走用に使用されたと思われる車が燃やされていました。(*1)

 被害者は神戸山口組系組員と報道されていたり、元組員と報道されています。しかし数年前に組織から処分されたという話があり、実態は「元組員」だと考えられます(*2)。被害者が属していたのは、神戸山口組系で名古屋市に拠点を持つ組織です(*3)。思い浮かぶのが山健組2次団体の健仁会です。山口組分裂抗争後、名古屋を牙城とする弘道会と小競り合いを起こしています。昨年10月17日、弘道会傘下団体の髙山組組員達が、名古屋市千種区にある健仁会の事務所のインターホンを破壊、また数時間後には小競り合いが起きました(*4)。ヤクザ関連情報の速報性及び正確性に優れている「慣れ果て」( ‏@narehateta)と「本部長」(‏@yokohamabj)のツイッター上でも、被害者が属していた組織が健仁会であるとツイートされています。被害者は健仁会の元組員であると推測されます。

 今回の殺害は、拳銃を用いた殺害方法、逃走車を燃やすことによる証拠隠滅の仕方から、ヤクザ関係者による犯行と見られます。しかし神戸山口組と対立する山口組による攻撃とは考えにくいです。5月に山口組側は神戸山口組2次団体・池田組の若頭を射殺しました。しかし組織犯罪処罰法により、傘下組員が抗争において対立組織メンバーを殺害した場合、組織トップを無期懲役で処罰できる司法環境が整えられています。山口組側は短期間に対立組織メンバーを殺害しにくい状況下にあります。また山口組側にとって、元組員を狙うメリットは基本的にありません。射殺現場がマンションの一室で、犯人と思われる2人組の侵入経路が玄関の可能性があることから、「顔見知り」の犯行という可能性も否定できません。

 健仁会は比較的新しい組織で、前身組織は多三郎一家です。多三郎一家も山健組2次団体でした。2007年頃多三郎一家の構成員は約160名(*5)、多三郎一家トップの後藤一雄は上部団体・山健組においては舎弟の位置にいました(*6)。当時、後藤一雄は活動範囲をともにする弘道会出身の山口組若頭の髙山清司を批判する言動をしていました(*7)。やがて髙山清司の耳にも伝わり、後藤一男は山健組から破門処分を受けることになります(*8)。2007年5月31日、山健組に処分の不服を伝える為、後藤一雄は名古屋から神戸に出てきます。神戸市中央区の路上を同行者2名と歩いている際、後藤一雄は同行者の多三郎一家幹部A氏により何度も胸部と腹部を刺され、もう一人の同行者の多三郎一家幹部B氏が救急車を呼ぶものの、死に至ります(*9)。

 自身の親分を刺殺したA氏は同年7月31日、名古屋市の駐車場内の車の中で死亡しているところを発見されます。左胸から血が流れていて、車内には拳銃がありました(*10)。また同年10月14日、東京台東区の路上でB氏が2~3人の男に襲撃され、2、3発の銃撃を受け死亡します(*11)。2007年5月31日の後藤一雄刺殺事件にいた人間全てが死に至ったのです。つまり「A氏による後藤一雄刺殺という話」も現時点では、確認できなくなっています。その後、一連の殺害を山健組2次団体・健國会が実行したことが警察の捜査で明らかになります。健國会若頭の川田賢一、健國会会長の山本國春がともに2010年逮捕されます。川田賢一は刑が確定し現在服役中、山本國春は2015年に刑が確定しています(*12)。2010年逮捕時、山本國春は山健組若頭を務めていました(*13)。多三郎一家トップだった後藤一雄の刺殺事件及び関連事件は、山健組上層部が大きく関わっていたいことが透けてみえます。

 多三郎一家トップ刺殺事件は、山健組が1次団体・山口組の若頭である髙山清司に配慮する形で、起こしたものです。弘道会を主流とする山口組と敵対する現在の山健組にとっては、良い出来事とは言えません。山健組出身の渡辺芳則が五代目組長を務めていた時代(1989~2005年)、我が世の春を謳歌した山健組ですが、六代目体制以降(2005年~現在)山口組内の立場は下がってしまいます。その象徴的な事件が多三郎一家トップ刺殺事件ともいえます。

 今回の殺人事件と、多三郎一家トップ刺殺事件のつながりは現時点では不明確です。個人的な怨恨の線もあります。今後の捜査、山口組そして神戸山口組の動きが注目されます。

<引用・参考文献>
*1 朝日新聞DIGITAL 2016年7月16日00時04分
*2  R-ZONE「菱のカーテンの向こう側76 名古屋市で白昼、暴力団関係者が2人組の男に射殺されるという事件が発生」
*3 同上
*4 『山口組 分裂の真相 知られざる「利権抗争」の聖域』(一ノ宮美成+グループ・K21、2016年、宝島社), p164
*5 『弘道会の野望 司六代目と髙山若頭の半生』(木村勝美、2015年、メディアックス), p242
*6 『山口組動乱!! 日本最大の暴力団ドキュメント 2008~2015』(溝口敦、2015年、講談社+α文庫), p115
*7 『弘道会の野望 司六代目と髙山若頭の半生』, p243
*8 『山口組動乱!! 日本最大の暴力団ドキュメント 2008~2015』, p115
*9 『弘道会の野望 司六代目と髙山若頭の半生』, p243~244
*10 同上, p244
*11 同上, p244~245
*12 『山口組動乱!! 日本最大の暴力団ドキュメント 2008~2015』, p116~117
*13 『弘道会の野望 司六代目と髙山若頭の半生』, p246

明日から実習始まる

 明日から、いよいよの実習です。緊張感を常に保ち、分からないことは質問するという態度を忘れずに臨んでいきます。相手方は仕事の合間に、僕の面倒を見てくれる訳で、その辺りも忘れないようにしかなきゃです。

 とはいえ前にも書きましたが、「安目は売らない」という気持ちで、卑屈にならないようにしていきます。怖がらないことも重要です。時間も長いですが、そこは、学校の他にこの間日雇いバイトも経験しているので、数時間何かに耐えることは慣れています。ここに来て、日雇いバイトの経験が活きてくると思います。

 ともかく明日からも果敢断行です。

GARNET CROW

 最近、GARNET CROWさんの音楽をよく聞いています。「2人のロケット」という曲はここ数日、何回聞いたか分かりません。10年前以上の大学生の時に活躍されていて、僕の周りでも人気がありました。

 現在は解散されているということですが、曲は永遠に残ります。曲もいいし、歌詞も良いです。

【再度】みんな行こうぜ!投票場の向こうへ!

 繰り返しますが、今日は大事な国政の選挙です。大事な投票という権利を行使しましょう。僕もこの後、近くの学校に行ってきます!!
*ちなみにタイトルは、評論家の常見陽平さんがよく使われるキャッチフレーズ(「みんな行こうぜ。満員電車の向こうへ」)を真似させていただきました。

覚せい剤ビジネス

 6月24日、俳優の高知東生が覚醒剤取締法と大麻取締法違反の疑いで逮捕され、芸能界の薬物問題が活気づいています。逮捕された場所は横浜市南区のラブホテルで、元レースクイーンの女性(33)と一緒にいました。女性も同じ容疑で逮捕されました。2人は覚せい剤によるセックスに勤しんでいた訳です。覚せい剤の主な用途に、性行為の快楽を促進させることがあります。とはいえ覚せい剤には、催淫性はなく、文字通り興奮性が主な作用です(*1)。男性は射精に至るまでの時間が長引き、興奮性によりピストン運動を何回も行うことができます(*2)。覚せい剤には、勃起する能力を助ける作用はないのです。一方、女性は皮膚感覚が過敏になり、通常時より増幅された快感を得ることができます(*3)。

 覚せい剤の1回使用量は、0.02~0.03gです(*4)。使用者と売人の売買において、「パケ」と呼ばれる小さな包みがやり取りされます。1パケの量は0.25g だったり(*5)、0.2gだったり (*6)、0.3g(*7)というような量の辺りになっています。つまり1パケ購入すると、「10回分」使用できるようになっています。1パケの価格は約1万円です(*8)。覚せい剤の販売においても、「10回分」「1万円」という販売形態に工夫をしていることが窺えます。しかし覚せい剤は使用するにつれ、耐性がつき、薬効が低下します(*9)。よって使用者は、1回時の使用量や使用回数の増加で、薬効を維持させていくことになります(*10)。自ずと覚せい剤の購入が増えます。覚せい剤ビジネスが流行る背景には、使用者を「中毒者」にさせる覚せい剤の力があるのです。

 また売人は医療用注射器も販売します。覚せい剤を体内に取り込むのに、注射器を使うからです。1回1本使う為、使用者は大量の注射器を必要とします。一般人が表社会で「大量の医療用注射器」を購入することは不可能に近い為、注射器も裏社会の売人に調達してもらうことになります。医療現場で販売されるより、当然高く買わされることになります。1箱280本4万円で販売するケース(*11)や1本1000~2000円で販売するケースがあります(*12)。前者の場合、1本143円となります。他方、覚せい剤を火であぶり、気化させて吸引する方法もあります(*13)。注射痕が残りません。「アブリ」と呼ばれています。

 以上述べてきましたが、言われているように使用者には悲劇しか待っていません。肉体、精神がボロボロになるのは当然、2次的被害も甚大です。仕事の人間関係及び友人関係は消滅、そして家族関係も消滅しかねません。覚せい剤は巧妙に近寄ってきます。「覚せい剤」とは名乗らずに、使用を勧められることもあるでしょう。「危なくない薬のアブリだよ」と勧められても、アブリすること自体がまず危険な事態につながることだと認識して、避けなければなりません。また男が女性に覚せい剤を仕込む為に、コンドームに覚せい剤の水溶液を付けた上でセックスし、膣粘膜から覚せい剤を摂取させる方法があります(*14)。覚せい剤は絶対にいけません。

<引用・参考文献>
*1 『日刊ゲンダイ』2016年7月5日号(4日発行)「溝口敦の斬り込み時評<263>」
*2 同上
*3 同上
*4 『日刊ゲンダイ』2016年2月23日号(22日発行)「サラリーマンも溺れる覚せい剤①」
*5 『日刊ゲンダイ』2014年10月21日号(20日発行)「溝口敦の斬り込み時評<187>」
*6 『裏社会 噂の真相』(中野ジロー、2012年、彩図社), p205
*7 『日刊ゲンダイ』2016年2月16日号(15日発行)「溝口敦の斬り込み時評<245>」
*8 『日刊ゲンダイ』2014年10月21日号(20日発行)「溝口敦の斬り込み時評<187>」
*9 『裏社会 噂の真相』(中野ジロー、2012年、彩図社), p223
*10 同上
*11 『日刊ゲンダイ』2016年2月16日号(15日発行)「溝口敦の斬り込み時評<245>」
*12 『裏社会 噂の真相』(中野ジロー、2012年、彩図社), p207
*13 同上, p228
*14 『日刊ゲンダイ』2016年7月5日号(4日発行)「溝口敦の斬り込み時評<263>」

みんな行こうぜ!投票場の向こうへ!

 国民の権利です。自分の意思を表明できる機会です。是非、選挙に行きましょう!!

嬉しかったこと

 今日は学校で1年生の時同じクラスだった人と廊下でばったりあったら、「実習頑張りましょう」と声を掛けられました。すごく嬉しかったです。ちょっとしたことですが、今回のことは、今後もずっと覚えていくはずです。良い1日でした。

 辛いことがあっても諦めずに実習に全力で取り組んでいきます。頑張るぞ!!!

優先順位を間違えない

 今日学校に行ったら、僕の学科の学年で来ている人が少なくなっていました。来週から始まる実習で、僕は自宅から通える所ですが、人によっては自宅から通えず実習先近くでアパートを借りる人が多数います。僕も2回目の秋の実習では、遠方の病院が実習先なので、アパートを借りることになります。恐らく、その荷造りなどで、今日から人が来なくなったんですかね。なんか静かになったなーと思いました。

 来週以降月~金曜日、終日実習活動になるので、恐らく結構疲れるのだろうなと思います。サラリーマン時代と同じですね。土日は休みなので、土曜日ぐらい日雇いバイトをしようかなと思いましたが。でも疲れているだろうし、課題もこなさないといけないので、実習期間中はバイトをせずに、休める時は休んで、平日のハードワークに備えていきます。優先順位を間違えずに、やっていきたいです。

 明日、明後日検査の練習を学校でしたら、実習に向かう訳ですが、完全に身に付いたレベルには至らない感じですね。まあ、その辺りは、実習先も求めていないということなので。ここまで来たら、焦らず、やれることを少しでも多く積み重ねて来週を迎えたいです。

荻上チキさんの不倫問題

 荻上チキさん司会の昨夜のラジオ「荻上チキ・Session-22」序盤(録音したのを)を先ほど、聞きました。今日発売の週刊文春が報じているように不倫があったこと、また子どもを共に育ててきた妻に離婚を迫ったことを認められていました。正直、ショックですね。実力も、人間性もある評論家だと思っていただけに。でも生放送で、悪い事実を認め、謝罪していたことは、最低限評価できる部分だと思います。

 人気が落ちるのは仕方がないですが、再び、私生活も気を引き締めて盛り返していって欲しいです。たしか「荻上チキ・Session-22」にも出演されたことのある細野豪志さんも不倫問題でダメージを受けましたが、今はちゃんと政治活動をされています。見習って頑張って欲しいです。

大阪戦争(1975~1978年)が示したこと

 現在活動するヤクザ組織を区別する際、過去の組織活動内容によって、分けることがあります。大別すると「博徒系」と「テキヤ系」の2つに分かれます。博徒系とは、昔博打を稼業にしていた組織を由来とするヤクザ組織を指します。幕末から続く組織もあり、組織のトップを名乗る総長の代目が「十」を超える例もあります。例えば、老舗博徒組織の幸平一家(住吉会2次団体)の場合、現在トップに位置する加藤英幸は十三代目総長を名乗っています。博徒組織が行っていた主な種目に、手本引とバッタマキがあります。手本引は関西で、バッタマキは関東で遊ばれていました(*1)。手本引は、一~六の札を用い、「ゲームの親」である胴師が6枚の札のどれを選んでいるのかを客が予想するゲームです(*2)。バッタマキは、裏面が黒と茶の2組の花札計96枚を用いるゲームです(*3)。戦後しばらくの間、博徒系ヤクザ組織は手本引やバッタマキの非合法博打業で、組織財政を維持することができていました。しかし1964年から始まった警察庁によるヤクザ組織の取締り強化(“第1次頂上作戦”)の一環で、「非現行」でも博打営業を摘発することができるようになりました(*4)。それまでは博打現場に警察が踏み込み現行犯逮捕するしか摘発手段がありませんでした。1964年以降、事後に客が警察に博打営業のことを伝えれば、博打を開催したヤクザ組織は摘発されることが可能になったのです。以後、ヤクザ組織の資金獲得業において、古典的な博打業(手本引とバッタマキ)は「主役の座」を譲ることになります。一方のテキヤ系は、露天商が集う組織を由来としています。

 博打遊びをしたい客は、定期的に開催される「常盆」と非定期に開催される「オオガイ」のどちらかで遊ぶことになります(*5)。オオガイは、祭りや興行時に、客を勧誘して開く大掛かりな博打です(*6)。一昔の博徒系ヤクザ組織は、組織の力の比重を博打業に重く置いていました。もちろん当時から博打業は違法領域内の資金獲得活動であったため、暴力装置を備えていました。つまり一昔の博徒系ヤクザ組織は、暴力装置を伴うものの、博打を生業とする職業集団の側面もあったのです。職業集団であるがゆえに、仕事への美学や客に対するマナーが存在していました。現在、博徒系と言われるヤクザ組織において、古典的博打業を稼業とする組織は数少ないと言われています。結果、職業集団としての色は消え、「暴力装置」を前面にする組織が多くなっています。

 「純粋な博徒系ヤクザ組織の終焉」を象徴させる出来事が1975~1978年に起きた大阪戦争です。当時すでに広域団体と化していた山口組と大阪を主な拠点とする松田組との抗争でした。松田組は古典的博打業を主要な稼業とし、最盛期には大阪市西成区に5カ所の博打場を持ち一日に1~2千万円を稼いでしました(*7)。抗争の発端は、松田組博打場における山口組組員による迷惑行為です。松田組2次団体・溝口組の博打場で、山口組2次団体・佐々木組傘下の徳元組の組員が博打場で迷惑行為を行い、溝口組は該当の徳元組組員の出入りを禁止します。不服とした徳元組組員は、後日溝口組に電話し、大阪市豊中市内の喫茶店で話合いを持つように伝えます。博徒業界において、賭場荒らしを行った者に対しては、暴力的制裁が許されるという慣習がありました(*8)。出入り禁止で済ましたのは、徳元組の上部団体・山口組への明らかな配慮でした。

 寛容に対応したのにも関わらず、徳元組組員の横柄な対応に、溝口組組員らは一線を超えることを決意します。1975年7月26日、溝口組組員らは指定された喫茶店に入り、山口組2次団体・佐々木組傘下の徳元組幹部ら4人に対して、一斉発砲します。3人を射殺、1人を重傷にします。同年8月23日、山口組は報復として、松田組2次団体・村田組組長宅(大阪市東住吉区)に向けて銃撃します。対して、同年8月24日、松田組2次団体・村田組系の大日本正義団の幹部らが山口組本部事務所(神戸市生田区)に6発の銃撃を行いました。1次団体・山口組との対決姿勢を鮮明にする松田組の攻撃でした。

 山口組の反撃も激しくなっていきます。同年8月25日、松田組2次団体・手束組が仕切る大阪府松原市の盆踊り会場にて、発砲騒ぎが起きます。同年8月30日、松田組2次団体・瀬田会幹部宅(大阪市淀川区)を襲撃、一人の組員に銃撃し負傷させます。同年9月2日、松田組トップの樫忠義組長宅(大阪市住吉区)に向けて銃撃します。1次団体のトップ宅を銃撃されたことで、松田組はさらなる反撃をします。同年9月3日、大日本正義団の組員が山口組2次団体・中西組事務所(大阪市南区)前の乗用車にいた中西組組員を射殺します。同年9月5日から、警察庁が取締りの強化を開始したことで、両団体の表立った攻撃は鎮静化します。ここまでは「山口組本部銃撃」「中西組組員射殺」を行った松田組3次団体・大日本正義団の攻撃性が際立つ展開でした。

 休戦は約1年1カ月続きました。山口組が大日本正義団に対して報復する形で、抗争が再開されます。1976年10月3日、山口組2次団体・佐々木組組員らが大阪日本橋の電気街にて大日本正義団トップの吉田芳弘会長を射殺します。しかし抗争は再び、休戦に入ります。

 さらに約1年9カ月が経った1978年7月11日、京都三条駅前のナイトクラブのベラミにて、大日本正義団幹部の鳴海清が山口組トップ田岡一雄組長に向けて発砲、田岡一雄を負傷させます。いわゆるベラミ事件です。三代目田岡一雄体制下の抗争で、田岡一雄に最も危険が及んだ事態です。当然、山口組は必要以上の反撃を展開せざるをえません。同年8月17日、山口組2次団体・山健組傘下組織の盛力会組員が松田組2次団体村田組の若頭補佐を大阪市住吉区の公衆浴場にて射殺します。同年9月2日、和歌山の松田組2次団体西口組組長宅前にて、西口組組員2名を射殺します。同年9月18日、大阪市阿倍野区のマンションで大日本正義団の組員が銃撃される事態が起きます。そして同年11月1日、山口組本部にて山口組若頭の山本健一らから、抗争終結宣言が出されます。しかし松田組の了承は得ておらず、山口組の独断的な決定によるものでした(*9)。
*大阪戦争に関する情報は、『戦後ヤクザ抗争史』(永田哲朗、2011年、文庫ぎんが堂), p198~206を参照しました

 松田組は抗争期間中、博打場をほとんど開くことができず、資金獲得枯渇の事態に陥りました(*10)。「両者合意の手打ち」というヤクザ業界のルールを適用されなかった松田組ですが、反撃する力は残っていませんでした。しかし松田組に対して、ジャーナリストの鈴木智彦は「しかし、決して社会から認知されず、極めて独善的ではあっても、松田組の暴力に博徒の哲学が存在したことは事実である」と述べています(*11)。抗争が終結した1978年、松田組は松田連合に組織名を変更しますが、組織の弱体化は進み、1983年松田連合は解散に至ります(*12)。
 
 山口組はいち早く「暴力装置」を前面に出し、資金獲得活動に乗り出したヤクザ組織です。大阪戦争において、山口組の「大組織としてのエゴ」が「伝統ある博徒業界の哲学」を上回るということが、明らかになりました。大阪戦争の結果は、ヤクザ業界のその後のあり方を示していくことになりました。

<引用・参考文献>
*1 『現代ヤクザ大事典』(実話時代編集部編、2007年、洋泉社), p193
*2 同上
*3 『ヤクザ大辞典』(山平重樹監修、週刊大衆編集部編、2002年、双葉文庫), p118
*4 同上, p108~109
*5 『潜入ルポ ヤクザの修羅場』(鈴木智彦、2011年、文春新書), p195
*6 同上
*7 『ヤクザの散り際 歴史に名を刻む40人』(山平重樹、2012年、幻冬舎アウトロー文庫), p262
*8 『潜入ルポ ヤクザの修羅場』(鈴木智彦、2011年、文春新書), p203
*9 『戦後ヤクザ抗争史』(永田哲朗、2011年、文庫ぎんが堂), p198~206
*10 『潜入ルポ ヤクザの修羅場』(鈴木智彦、2011年、文春新書), p203~204
*11 同上, p203
*12 『ヤクザの散り際 歴史に名を刻む40人』(山平重樹、2012年、幻冬舎アウトロー文庫), p264

広島カープが優勝しそうだ

 そういえば、最近書き忘れていたこととして、広島カープが現在首位にいることです。それも、結構なゲーム差を付けています。もう7月。優勝の可能性を考えてくる時期です。ちなみに僕は、広島カープンと阪神タイガースを応援しています。パリーグならオリックスバッファローズを応援しています。今だから、広島カープファンを公言する(どこかで明かした気はしますが…)のは、なんだが嫌なのですが、影ながら弱い時代も応援していました。ただ2000年代、阪神が強くなり、広島が弱かったときは、阪神に気持ちがいっておりました。2007年までは関西にいたので、やっぱり阪神情報に覆い尽くされた環境になると、どうしてもね…。

 ここ数年は、色々と自分の人生を掛けたことで、とても野球どころではないので、広島が強くなっても、なかなか追えませんでした。ただやはり、今の状況は素直にうれしいです。ここ数年野手のレギュラー陣が固定化されたのが大きいのかなと思いますね。打線好調なのも、それが要因ではないかと。前田が抜けたとはいえ、先発陣も数はいましたし、懸案だった中継ぎ・抑えも外国人投手でなんとかいっているようです。

 是非、優勝して、僕もその勢いに乗らせてもらいたいものです。その為にも、広島カープ伝統の猛練習にならい、猛勉強していきたいと思います。

将来のことを考える最近

 今日は、学校の先生に実習のことで、聞きに行ったら熱心に教えて頂きました。新しい先生で、つい最近まで現場で忙しく活躍されていただけに、大変実践的なお話を具体的にして頂きました。濃厚な内容で、勉強になりました。実習先でつまらないことで迷惑をかけないように、しないといけないなと思った次第です。あと就職のことも、色々詳しく教えて頂いたり、言語聴覚士の職種事情についても教えて頂きました。意外と体力勝負、転職はしやすいなどなど、覚悟しないといけないマイナスな情報もあれば、希望のあるプラスのある情報もありました。就職活動もそろそろしないといけないので、参考になりました。

 病院の実習(1ヵ月間)が来週の月曜日から始まります。何やっても「実習のことばかり」考えてしまって、休むという雰囲気にもなれません。とりあえず来週からの1カ月の実習が終わるまでは、緊張感を保っておいた方が良さそうです。

 この間、専門学校に入ったと思いきや、もう実習ということで、時は速いです。特に最近は、色々と迫ってきたので、将来について考えてしまいます。仕事のこと、家族のことなど。まず目の前のことをコツコツとやっていくことに加えて、色々と絞っていくこともこれからは必要なのかなと思っています。このブログについても同様で、興味のあるテーマに絞って、それをコツコツ書いていくことにしていこうと考えています。仕事につけば、時間や余裕は今よりは制限される可能性が高いです。とはいえ、書いたり、好きな物事を探求していくという趣味は続けていきたいです。持続可能な形で、上手く設計していくことが必要です。まあ、これまでのブログ内でそれはやってきたことなので、大丈夫かなとは思います。あと、読み物としての質を上げていくべく、良いことは今後も吸収していきたいです。とはいえ、世間に期待せずに、世間に媚びずに、やっていくというある種の諦めというか、意地というか、上手く言葉にできませんが、そういう強い意志は常に忘れずに、自分の書き物に自信を持つところは持っていきたいですね。それが僕は大事だと思っています。

反省

 今日、懸念していた科目テストの結果発表がありました。結果、落ちていました。僕の学科は点数が6割に至っていないと、不合格です。最後に受けたテストだったので、気持ち良く終わりたかったのですが、テストを解いている時にもう、「自信なし」の状態に陥ってしまいました。多少日程が空き、その間日雇いバイトを入れて、勉強不足だったということや、気の緩みがやはり大きな原因です。確かに内容は難しかったですけど、大半の人が合格していました。僕は、今回のを含めて3回不合格を経験しているのですが、そのうちの前の2回は不合格者が多いので、割と「テストのせい」にもできたのですが、今回ばかりは反省するしかありません。国家試験も6割が合否ラインなので、常日頃から「6割越え」をする習慣化をしていないといけないのですが、危ないです。今後勉強を気を引き締めてやらないと、お先が真っ暗になってしまいます。

 あと今週は運が悪く、日雇いのバイトを2日入れたのですが、どの日も仕事をもらえず、金銭的にもきつい中、辛いです。今日は今日で、女性のクラスメートの来ている所を大きく間違えるという大失態をしてしまう始末。以前、熱心に出身地について話していたにも関わらず…。大事な人の重要な情報を間違えるのは、ほんとにやってはいけないことで、大きなミスでした。まだまだ甘いと思った今日でした。

埋地一家を巡る話

 先月稲川会の執行部筆頭から統括委員長に昇格した貞方留義がトップとして率いるのが埋地一家(横浜市)です。埋地一家が「名門組織」であったことはご存じでしょうか。埋地一家の創設者つまり初代総長は、藤木幸太郎という横浜港の港湾荷役業界の顔役でした(*1)。

 1926年、港湾荷役業者の全国規模団体として鶴酒藤兄弟会が設立されます。組織名は、有力な港湾荷役事業者であった鶴井寿太郎、酒井信太郎、藤原光次郎の頭文字からとられています(*2)。山口組も当時神戸港で港湾荷役業に携わっていたことから、二代目組長・山口登が鶴酒藤兄弟会に参加しました*3)。神戸から横浜港に来て実績を作った酒井信太郎の下に、集った人物の1人が藤木幸太郎です(*4)。ちなみに双愛会の「始祖」として位置づけられる笹田照一も、酒井信太郎の下にいた人物の1人です。藤木幸太郎は1923年藤木組(港湾荷役業主体の組織)を設立します。1947年藤木組から、現在の藤木企業株式会社に組織名が変更されます(*5)。

 ヤクザ組織・埋地一家と正業組織・藤木組とのつながり等に関しては、現在手元にある情報では明らかにすることができません。推測ですが、同時期に2つの組織のトップを藤木幸太郎が兼任していたのではないでしょうか。戦後、藤木幸太郎は「藤木企業のトップ」として、つまり表の世界に重点を置いてきます。1970年、息子の藤木幸夫が藤木企業の社長に就任します(*6)。藤木幸夫は横浜の政財界において大物たる地位を現在に至るまで、築き上げていきます。一方、埋地一家は、40年以上トップ不在の状態が2008年まで続いていました(*7)。要するに埋地一家は、1960年代後半から事実上、「休眠状態」(活動実績のない組織)だったのです。2008年に貞方留義が自身の組織名を「埋地一家」と変更したことで、埋地一家は復活に至ったのです。

 ヤクザ業界でいう「名跡復活」と言われる事ですが、40年以上休眠であった為、「現在の埋地一家」と「初代の埋地一家(つまり藤木家)」との関係は希薄です。貞方留義は元々、稲川会の2次団体で同じ横浜に拠点を持つ杉浦一家の出身者です(*8)。杉浦一家から独立して、稲川会の2次団体に昇格するにあたり、「埋地一家」に自身の組織名を変更したのです。父が初代総長となっている埋地一家の復活は、事業家・藤木幸夫にとって、迷惑な話です。しかし横浜の政財界に絶大なる権力を持つ藤木幸夫にすれば、稲川会といえども、復活を阻止できたはずです。

 藤木幸夫は元建設大臣の小此木彦三郎と仲が良く、その小此木の秘書として11年間仕えていたのが官房長官の菅義偉です(*9)。その関係上、現在も藤木幸夫は菅義偉と太いパイプを有しているとされています。

<引用・参考文献>
*1 『選択』2014年10月号「《土着権力の研究》【第42回】神奈川県 藤木幸夫」
*2 『山口組永続進化論』(猪野健治、2008年、だいわ文庫), p208~209
*3 同上, p62~63
*4 同上, p208~209
*5 藤木企業株式会社のサイト(http://www.fujikigroup.com/japan/fkigyo/index.htm)
*6 『選択』2014年10月号「《土着権力の研究》【第42回】神奈川県 藤木幸夫」
*7 『実話時代』2014年8月号, p34
*8 同上
*9 『選択』2014年10月号「《土着権力の研究》【第42回】神奈川県 藤木幸夫」

ピンサロ

 ピンクサロン略してピンサロは、1958年の売春防止法施行以降、誕生した風俗業態の1つです。ピンサロの客は、数十分数千円で女性従業員から口淫サービスを受けることができます。数千円という風俗料金としては低価格が特長です。ピンクサロンの源流を辿ると、アルバイトサロンがあります。1952年大阪のミナミにできた「ユメノクニ」店で始まったサービス業態はアルバイトサロンと呼ばれ、人気を博しました。1968年東京浅草にできた「ハワイ」が現在のピンサロサービスを提供した店としてされています。
*今回記事を作成するにあたり『フーゾク資本論 なぜセックスは「巨万の富」を生むのか?』(岩永文夫、2015年、文庫ぎんが堂)、『週刊実話』2015年11月26日号「風俗新潮流 第27回 激安風俗」(梶山カズオ著)の情報を参考にさせて頂きました。

 1969年東京五反田の店で“花ビラ回転”、1974年川崎の店で “二輪車プレイ”、1984年東京巣鴨の店で“大車輪サービス”というサービスが提供されるなど、ピンサロ業界は斬新なサービスを展開していきます。法律上、ピンサロ店は風俗店ではなく「飲食店」として位置づけられています。風営法により、風俗店は一般求人誌に求人広告を出せませんが、飲食店扱いのピンサロ店は一般求人誌に求人広告を出すことができます。求人広告においては、ピンサロ店は「高級ラウンジ」などと言い換えています。しかし飲食店で営業許可を取っている為、個室やシャワーを設置できないデメリットもあります。設置すれば、「風俗店」として見なされる疑いが濃くなるからです。つまりピンサロ店は、飲食店にも関わらず「飲食店業態では認められない性的サービス」を提供しているので、実質「違法な存在」なのです。ゆえに警察当局から摘発を受けやすいです。また個室やシャワーがないので、他の風俗業態より不衛生のイメージが付きまといます。

 「ピンサロの聖地」として1990年代有名になったのが神奈川県平塚市です。『週刊実話』2015年11月26日号「風俗新潮流 第27回 激安風俗」(梶山カズオ著)によれば、一時期、JR東海道線平塚駅周辺に50軒近くのピンサロ店がありました。しかし2015年10月時点においては、駅周辺に20軒近くしか残っていません。減少の背景には、先述したように、摘発が多くなったことや不衛生のイメージがあります。

 ピンサロ店で働く女性従業員の給料については、『フーゾク資本論 なぜセックスは「巨万の富」を生むのか?』(岩永文夫、2015年、文庫ぎんが堂)が詳しいです。『フーゾク資本論 なぜセックスは「巨万の富」を生むのか?』によれば、北関東の某ピンサロ店で働いていた21歳の女性の当時の収入の話が取りあげられて、「まず、出勤さえすれば一日に一万八〇〇〇円ほどがつく。これを“保証”といい、ピンサロ系のほとんどの店で採用されている。(略)時給二五〇〇円から三〇〇〇円くらいが相場で、一日の実働を六時間とすると、一万五〇〇〇円~一万八〇〇〇円になる。これに客の本数(人数)による手当や、一本二〇〇〇ほどになる指名料のかえしがプラスされる。これを含めるとだいたい三万円になるという」(p215-216)となっています。

発奮

 昨日と今日は日雇い仕事に行っていました。特に今日は、体を酷使する仕事だったので、体がくたくたです。あと夏ということもあり、疲れやすいです。外に出て働くと、人に出会い、世の中の一端に触れることができるので、家に閉じこもっているよりは、断然良いです。大学生の人とか見ると、やはり年齢差を感じて、色々と思うことがあります(主に時の過ぎる速さの切なさ、そしてこれまでの自分の人生についてなど)。

 でもそうやって外に出て、感傷的になって、自分って孤独だなと強く感じることが、自分の幹を太くしてくれることなのかなと今思い至っています。もちろん、暴力やひどい精神的苦痛などは、論外ですが。やっぱり、外に出て、ちょっとした負の刺激を受けることで、人って発奮する部分ってありますし。自分の今やらないといけないこと、しっかりと捉えて、日々過ごしていきます。

 明日は、前の記事にも書きましたが、久しぶりにクラスメートと会います(とはいえ今週、何人かとは会っていますが)。ただ、グダグダとおしゃべりしても、不安は解消できませんし。相手の時間を潰すようなマネもよくないです。ただ即座に消え去るのもなんかねー。実習前の最後の公式的な顔合わせになるから、当分(2カ月)会えない人もいます。話せる機会がありそうな人には、元気よく挨拶し、相手をパッと気分良くさせ、手短に切り上げるというぐらいはしたいですね。

 LINEでの励まし合いは、僕はどうもね…。LINEは既存の人間関係を壊さず、強化するだけの機能のようにしか思えなくて、全然魅力に感じません。やっぱり直に会って話す。これが一番かなと僕は最近強く思います。普段距離が遠い人でも、話を聞いてくれたりします。もちろん勇気がいるし、疲れることですけど。相手を想う時は想い、孤独に耐える時は耐え、メリハリをつけていいかないと。

 ともかく今週もあと少し。張り切っていきます!!
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