噂される「関東の新団体?」について考えてみました

 アンダーグラウンド系ニュースサイトR-ZONEで本日、興味深い記事が配信されました。R-ZONEは山口組分裂を巡る動きや抗争について、現在どこよりも速く、そして分析的な記事を提供しているメディアです。

 「菱のカーテンの向こう側52 関東に「親・神戸山口組」系の新たな団体が誕生する!?」というタイトル記事です。記事を一部引用させて頂くと、「その情報によれば、「神戸山口組の首脳部と、ヤクザ社会に強い影響力を持つ某氏が会談し」「某氏と関係性の深い、関東に本拠を持つ複数の団体が行動を起こす」というのである(情報ではすべて実名)。」と書かれています。つまり関東で新団体が立ち上がるという話が浮上しているのです。そしてその新団体は、親・神戸山口組の色で歩んでいくということなのです。

 記事内ではまだオブラートに包んだ書き方になっており、具体的な団体名は書かれておりません。ツイッター上でも、関東のヤクザ社会で大きなことが起きるという情報が近日流れていました。関東のヤクザ社会の多くは、親・山口組派です。親戚関係を結ぶ稲川会や松葉会、双愛会は山口組寄りです。また住吉会の傘下団体の多くも山口組寄りです。一転、それらの勢力が裏切るのは唐突過ぎます。一方、親・神戸山口組の勢力としては、住吉会傘下の幸平一家があります。住吉会の中でも、長らく幸平一家は独特の位置づけでした。「幸平一家」のブランドを強く押しだす組織風土があります。住吉会の中では、抗争経験も豊富で、「武闘派」組織で通っています。人数も多いです。

 記事内で幸平一家の名前が出されていませんが、恐らく、噂の新団体の中核を担うのにふさわしいのは幸平一家しかないと思われます。それに追随する組織候補をいくつかあります。1月に稲川会からトップが破門処分を受けた紘城一家と箱屋一家です。ともに稲川会の旧2次団体です。紘城一家と箱屋一家としては、稲川会総本部との緊張関係が続いており、山口組に頼ることができません。自ずと紘城一家と箱屋一家が手を結ぶ先は神戸山口組または幸平一家となります。松葉会から2014年脱退した勢力で発足した松葉会関根組も、同じ事情で、新団体に参加する可能性があるかもしれません。幸平一家、紘城一家、箱屋一家、松葉会関根組が組む事になれば、一定の勢力となります。神戸山口組にとっても、関東の盟友組織の位置づけになり、心強いです。山口組にとっての稲川会のような存在が、神戸山口組にもできる訳ですね。

 この記事の初めには、富士山が入っている風景写真が掲載されています。写真の下には「写真はイメージです」と書かれています。富士山といえば、山梨県と静岡県です。記事には「ヤクザ社会に強い影響力を持つ某氏」が今回のキーマンと書かれています。書き方からして、ヤクザ組織外の人間です。時期的なことそして富士山の写真から考えるに、某氏は恐らく元後藤組組長の後藤忠政であると思われます。後藤組は静岡県を本拠地にしていました。ツイッター上では先日、噂の域を出ませんが、後藤忠政と幸平一家の加藤英幸総長が会談したという話があがっていました。後藤忠政が何らかの役割を果たしたのでしょうか。もしそうだとすると、現在山口組にいる旧後藤組の勢力(良知組、藤友会)の動向も今後気になってきます。もし旧後藤組の勢力も将来新団体に加わることになると、さらに展開が違ってきます。

 とはいえ情報戦の一環で出てきた話で、実はデマかもしれません。一体どうなることやら、予断を許さない展開になってきました。
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学生劇団の同期と再開

 約10数年前、僕は京都で大学生をしていたころ、学生劇団に所属していました。昨晩はその学生劇団の同期の友人と久しぶりに再会を果たしました。東京に所要で来るということで、東京駅近くの焼きとん屋さんで飲むことになりました。5年以上も会っていなかったのですが、不思議なもので、会話が成立するものです。昔のコミュニケーション関係が生きているのでしょうか。友人は仕事やその他のことにも一生懸命励んでいるようで、改めてちゃんとした人と青春時代を過ごせてよかったなと思った次第です。互いの近況、仕事の話など、沢山話ができました。これを励みに、日々頑張っていこうと思います。

ヤクザ組織と興行

 山口組は1957~1968年頃までの10年間、神戸芸能社という興行会社を運営していました。ヤクザ組織の運営会社ですが、合法的な興行を打っていました。所属芸能人として大物歌手の美空ひばり等がいました。地方都市での歌謡コンサートの開催及びプロレス試合興行によるチケット収入により、神戸芸能社は売上を得ていました。日本のプロレス界創生期において大きな役割を果たしたプロレスラー力道山の試合の興行も神戸芸能社が担っていました。神戸芸能社が芸能界で勢いを増している時に、山口組のトップを務めていたのが三代目組長・田岡一雄です。山口組と興行の関わり合いの歴史は古いです。山口組において興行を始めたのは初代組長・山口春吉(組長在任期間1915~1925年)でした。当時の主要芸能であった浪曲や相撲の興行に携わりました。

 山口組の興行を拡大させたのが、春吉の実子である二代目組長・山口登です。まず山口組の興行を展開する部隊として山口組興行部を設立します。山口登は1932年上京、大物興行師の永田貞雄と親交を持ちます。東京の芸能界にパイプを作ったことで、興行を活性化させる有名演者を確保しやすくなったのは想像に難くありません。また山口登は1940年、当時の浪曲界のスターである広沢虎造が起こした出演トラブルの仲介を、吉本興業から依頼されます。吉本興業とは、現在TVのバラエティー番組に多くの有名芸人を供給している吉本興業株式会社のことです。山口登が「神戸興行界の顔役」だけでなく、「全国興行界において重要な位置」にいたことを物語る話です。仲介の為、東京の浅草にある広沢虎造関係者の事務所に山口登が向かう際、広沢虎造出演トラブルを巡り対立する組織・籠寅組(現在の後継組織は合田一家)の組員により襲撃されます。山口登は死には至りませんでしたが重傷を負いました。2年後の1942年、山口登は死去します。しかし戦前の二代目組長・山口登時代(1925~1942年)に培った興行のノウハウ、全国の興行会社と結んだネットワークは、三代目時代の神戸芸能社の活動を大いに助けることになります。
*今回記事を作成するにあたり『実話時代』2015年10月号、11月号「芸能・興行界の大立者 永田貞雄という男 こうして戦後の興行界は動き出した」(猪野健治著)、『山口組の100年 完全データBOOK』(2014年、メディアックス)、『山口組 分裂抗争の全内幕』(盛力健児+西岡研介+鈴木智彦+伊藤博敏+夏原武、2015年、宝島社)の情報を参考にさせて頂きました。

 戦前及び戦後しばらくまでの時期、山口組以外のヤクザ組織も興行を展開していました。籠寅組組員による山口登襲撃の事件が示すように、ヤクザ組織のトップを狙うほど、ヤクザ組織において重要なシノギ(事業)でした。表面上の興行は、芸能人を管理・派遣する芸能事務所、興行師、地方興行を取り仕切る地元の興行会社の3主体によって担われていました。興行の主催は、地元の興行会社単独の場合や、芸能事務所との共催の場合もありました。また芸能事務所とA興行会社が契約した後に、A興行会社が興行権をB興行会社に売り渡すこともありました。「興行権の卸し」をする興行会社もあったのです。ヤクザ組織は地元の興行会社を直接的もしくは間接的に経営していました。また芸能事務所を経営するヤクザ組織もありました。神戸芸能社が典型的な例です。ヤクザ組織の専門稼業である賭博と異なり、興行は専門の興行師という「ヤクザ組織の外部」に頼る必要がありました。有名芸能人への出演依頼、演目の構成、集客など、興行には多くのことが求められます。ヤクザ組織が関与する興行会社は、興行師の協力なくしては、成り立たないのです。

 もちろんヤクザ組織自身が興行において果たす役割もありました。会場時の有名芸能人の身辺保護、客の誘導・整理など、警備業務はヤクザ組織により担われていました。警備会社がまだなかった時代、暴力装置を持つヤクザ組織にとって、警備業務は親和性が高かったです。加えて、ヤクザ組織の「営業力」も興行において大きな役割を果たしていました。特に博徒系ヤクザ組織は、賭場に遊びに来る旦那衆(つまり社長などの地域の金持ち)とつながりを持っています。旦那衆は、興行のチケットを一定数買ってもらえる存在です。旦那衆との日常的なつながりを有するヤクザ組織は、チケットの捌き役としては適任なのです。また暴力装置を活用し、魅力に欠ける興行チケットを無理に旦那衆に買わせることもヤクザ組織はできます。負の要素も多分に含みながら、当時のヤクザ組織には「営業力」がありました。そして芸能界側もヤクザ組織を頼りにしました。

 1955~1965年における全国の主要興行グループを北から南に見ていきましょう。北海道の興行は、本間興業の独壇場でした。本間誠一をリーダーとする本間興業は旭川を拠点として、函館、小樽、札幌等に30数館の小屋を所有していました。本間興業は、興行会社としては珍しくヤクザ組織とつながりはありませんでした。しかし北海道で興行を図る興行師は、最初に本間興業に足を運ぶ必要がありました。東北では、自由芸能という興行会社が大きな存在感を持っていました。関東では、興行激戦区である為、巨大な興行会社が生まれませんでした。信越地区の興行においては、シバタの独壇場でした。興行会社でありながら、シバタサーカスというサーカス団を展開していました。本拠地の新潟県新発田、山形県、福島県、群馬県などに、80館以上の直営館を展開していました。名古屋地区は、鵜飼興業が有名でした。鵜飼興業もヤクザ組織とは無縁でしたが、愛知県、三重県、岐阜県における興行において、ヤクザ組織との調整役を果たしていました。京都府、和歌山県、奈良県、北陸地方では、関西芸能が地元ヤクザ組織との仲介役として、存在感を発揮していました。大阪府、兵庫県、四国地方、中国地方は神戸芸能社の独壇場でした。1960年代前半、山口組は全国各地に進出していきます。多数の抗争を伴いながら、山口組は各地のヤクザ組織を吸収していき、広域団体としての礎を築いた時期です。進出するきっかけとして、用いられた方法の1つが神戸芸能社の興行です。神戸芸能社の興行を巡り、地元興行会社側つまり地元ヤクザ組織と揉める原因を作り、抗争に至るというパターンが繰り返されました。山口組の武力侵攻と神戸芸能社の動きはつながっていたのです。

 また興行界の業界ルールとして、同じ地域において、新規興行会社は既存興行会社の興行内容に重複しないことが求められました。例えば、既存興行会社がプロレスを扱っている場合、新規興行会社はプロレス興行をせず、歌謡コンサート等を興行とする必要がありました。また既存興行会社が多方面の興行を扱っていた場合、新規興行会社は既存興行会社の「下請け」として活動することになります。しかし1964年から警察庁が開始した第1次頂上作戦により、ヤクザ組織が関与する興行は公共施設で開催されなくなりました。当時、現在のように多数の人々を収容できる民間施設の会場はなく、興行の主な会場は体育館や大講堂などの公共施設でした。警察庁により公共施設利用不可となった事態は、ヤクザ組織にとって興行の撤退を意味していました。神戸芸能社の場合、1968年頃には活動停止に陥りました。1970年代以降、表立ってヤクザ組織が興行に関与することは減りました。しかし水面下では、ヤクザ組織と興行の関わりは残り続けています。

熊本の大地震

 遅くなりましたが、熊本の大地震で亡くられた方には哀悼の意を表します。避難されている多くの方も、生活の不便があって大変だと思います。くじけず、諦めずに乗り越えて頂きたいです。遠くの東京から応援しています。

 こういう災害時の私的なブログでの発信方法は悩むところですが、やはり何か伝えようと思い、伝えた次第です。明日からも一生懸命生きていきます。

パナマ文書を巡る話

 世界の権力者や富豪達がタックスヘイブンで会社設立を行った内容を記した「パナマ文書」が報道されて、世界中に衝撃を与えています。アイスランド首相の辞任、イギリスのキャメロン首相の支持率低下など、パナマ文書に記載されていた政治家に打撃を与えています。情報の流出元はパナマの法律事務所モサックフォンセカです。フォンセカはタックスヘイブンにおける会社設立を手助けする事務所です。パナマ文書として流出したのは1977年から2015年までのフォンセカの顧客情報です。2015年初め、パナマ文書に関する情報提供がドイツの高級紙である南ドイツ新聞にありました。自社の報道力だけではカバーしきれないと判断した南ドイツ新聞が国際調査報道ジャーナリスト連合に呼びかけました。調査を1年間続けてきた結果、今回パナマ文書の内容が明らかになったのです。
*今回記事を作成するにあたり『現代ヤクザ大事典』(実話時代編集部編、2007年、洋泉社)、『週刊エコノミスト』2015年11月10日号「海外企業を買う 66 HSBCホールディングス」(小田切尚登著)の情報を参考にさせて頂きました。

 タックスヘイブンとは日本語で租税回避地と訳されます。所得税や法人税が無い、もしくは極めて低い税率が設定されている国や地域のことです。バハマやモルディブ、キプロスなどの国、イギリス領のケイマン諸島、バージン諸島、ジブラルタルなどの地域がタックスヘイブンとして知られています。小さな島に実際会社本体を置く訳ではなく、書類上会社をタックスヘイブンに登記するに過ぎません。ペーパーカンパニーを作る上で、求められるのがフォンセカのような法律事務所となります。またタックスヘイブンの特長として、匿名性の高さが挙げられます。その為、違法手段により巨額な富を得た集団のマネーロンダリングが行われているという懸念がタックスヘイブンに付きまとっています。

 日本の裏社会でマネーロンダリングとして有名な件が、2003年に発覚した山口組2次団体・五菱会のヤミ金融ビジネスによる収益隠しです。五菱会のヤミ金融ビジネスを主導していたのが五菱会元構成員の梶山進です。ヤクザ組織に近い梶山進がヤミ金融で得た巨額な現金を国内の一般の銀行に持って行き、預金を申し出ても、素直に応じる銀行はありません。ヤミ金融で得た現金は、少額であれば問題ありませんが、大きな額となれば「表」に出すことは摘発の危険から非常に難しいのです。よってマネーロンダリングの出番となります。梶山進は金融債購入などの巧妙な手段を駆使して、マネーロンダリングを行っていました。梶山進のマネーロンダリングの一環で使われた装置として、クレディ・スイス銀行香港支店の口座がありました。クレディ・スイス銀行香港支店の1人の行員が梶山進のマネーロンダリングに関与していたのです。クレディ・スイス銀行香港支店全体が加担した訳ではないですが、管理の緩さが招いた結果でした。五菱会のヤミ金融ビジネスにおける取立ての厳しさが表面化したことで、梶山進は2003年8月出資法違反の容疑で逮捕されます。後に、五菱会トップの高木康男も組織的犯罪処罰法違反の容疑で逮捕されました。現在、五菱会の後進団体として、清水一家(山口組2次団体)が活動しています。清水一家トップの総長職には、五菱会トップだった高木康男が引き続き就いています。高木康男は山口組では、最高幹部級の若頭補佐に就いています。分裂抗争中の山口組においても、重要人物といえます。

 マネーロンダリング事件に度々関与したことで、問題視されてきた銀行として、HSBC(香港上海銀行)があります。HSBCは拠点をイギリスと香港に持っています。1865年香港で、HSBCの前身組織が設立されます。当時香港を植民地にしていたイギリスのアジア貿易の決済の為に作られました。HSBCの本社は現在、ロンドンにありますが、1993年までは香港にありました。2015年11月時点で、73ヵ国に進出、6100以上の店舗を展開するグローバルな金融機関です。『週刊エコノミスト』2015年11月10日号の記事によれば「最大のものはドラッグの代金8億8100万ドルのマネーロンダリングに関与したこと。この件で訴追をまぬがれるためにHSBCは2012年12月に19億ドルの罰金を米国当局に支払った。またアルゼンチン、インド、メキシコなどでも過去3、4年以内にマネーロンダリングで摘発されている。英国では国際的テロリストとコカインディーラーへ資金を流したということで、12億ポンドの支払いを余儀なくされた」と、HSBCのコンプラインスの緩さが指摘されています。緩いコンプライアンスの背景には、HSBC地域子会社の力が強いことがありました。HSBCは世界各国に進出する際、地域に長年根付いている銀行を買収する形をとってきました。各国の事情に精通した銀行業務を行える利点をHSBCは持つ一方、地域子会社の暗部がそのまま残されるという欠点も持つことになったのです。

 最後にパナマ文書に話を戻すと、タックスヘイブンの多くはイギリス領です。イギリスは6月23日、EU離脱の是非を問う国民投票が行われます。イギリスの今後を左右する大きな行事の前に、パナマ文書は明るみにされました。どのような影響を及ぼすのか、興味深いところです。

あと2カ月の我慢

 学校の方は、グループワークが今複数進行していて、それに色々時間やら手間やら、気持ちが取られてしまいます。今の所はなんとか順調にいっているのが幸いです。皆も1年生の経験を活かして、大人になった感じがしますね。

 学校生活は、やはり僕は苦手だなと改めて思いました。やっぱり群れてる連中がデカい顔をするというか、1人行動が基本の僕は、なんだか肩身が狭いです。といっても、まあ群れてる連中には、必要以上にデカい顔させないように、こちらも気を張っています。負けません。しかしこの集団で過ごす学校生活も6月半ばまでです。僕は、言語聴覚士になるための専門学校に通っていて、今最終学年の2年生です。2年生の6月には授業が終わる過程になっています。6月以降は、病院の実習が約3カ月あります。その準備や何やらで、2年生の残りの時間は埋まってしまいます。もちろん国家資格試験の勉強も同時にやる必要があります。つまり6月の半ば以降は、個人行動がメインとなります。なので、その事に関しては、とてもいい気分です。もちろん実習自体や資格試験の勉強については、今から怖くて仕方がないのですが…。

 気づくと4月も半ば。あと2カ月の我慢となります。ある程度、学校生活の孤独でも慣れてきました。人間関係に左右さることも少なくなってしますし。あとは将来の仕事の為に、日々の勉強やグループワークに励んでいくとします。

なぜ織田絆誠はスマートフォンを握りしめて歩くのか

 週刊誌の写真に写る神戸山口組の若頭代行・織田絆誠はいつもスマートフォンを片手に握りしめています。織田絆誠の撮られる写真は、事務所入りなど移動時の場面が多いです。通常スマートフォンは歩く時、ポケットやカバンの中に収められます。しかし、移動時の織田絆誠においては、スマートフォンの収まり場所は手のひらになっています。スマートフォンを片手で持つと、片手が塞がる為、何かと支障を生じます。織田絆誠はあえて不便な移動行動をとっています。

 移動時もスマートフォンを片手に持つ利点として、電話にワンコールで出られることがあります。上下関係の厳しいヤクザ社会において、上の立場の人間からの電話には早く出ることが求められます。高い地位に就いた今でも、「電話に早く出る」という考えが内在化しているので、「スマートフォンを片手で持つ」という振る舞いとして現れているいのかもしれません。若い組員達の見本にはなります。

 実用的な面で、移動時スマートフォンを片手に持っていることも考えられます。頻繁に電話がかかってくる、加えてどの電話も至急応じる必要がある場合、人はすぐに電話に出られる態勢をとります。神戸山口組は現在、日本のヤクザ組織の中でも、最も活動量が多いヤクザ組織です。実務面を取り仕切る人間は多忙を極めざるをえません。つまり織田絆誠が移動時スマートフォンを握りしめている姿から、織田絆誠が神戸山口組内で重要な仕事を担っていることが窺い知ることができます。

 日本のヤクザ組織において、電話を早く出られない若い組員に対して「神戸の織田絆誠は歩く時もスマホを片手に持ってるんだ。オマエも見習え」という言葉が叱る際の常套句になるかもしれませんね。

カレーは最強

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 この前学校が休みだったので、日雇いバイトに行って、その帰り道の途中の駅にカレーショップC&Cがありました。お腹も空いていて、いつかC&Cのカレーを食べたかったので、入ってみました。

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 食べたのは440円のポークカレーです。噂通り、美味しかったです。なんですかね。カレーっていつも思うのですが、形容しがたい味をしていますよね。濃厚だし、複雑だし、それいでまろやかな感じもするし。トッピングの揚げ物とかも邪魔しない味ですし。カレーは最強ですね。

ポーランドの宅配ロッカー

 宅配便の不便な点の一つとして、荷物が到着する指定の時間帯の在宅義務があります。確実に居る深夜帯には宅配サービスはなく、受取人は21時頃までに帰宅しなければなりません。独り暮らしの社会人にとっては、難しいことです。しかし東ヨーロッパに位置するポーランドでは、指定時間帯に在宅せずに済む宅配サービスが始まっています。
*今回記事を作成するにあたり『週刊エコノミスト』2016年1月5日号「ワールド・ウオッチ」72P(牧野直史・JETROワルシャワ所長著)の情報を参考にさせて頂きました。

 ポーランドの宅配サービスにおける宅配先は、受取人の居宅でなく、街のロッカーとなります。ロッカーはIT活用されており、24時間いつでも利用できます。受取人は都合の良い時間に街のロッカーに寄れば、荷物を受け取ることができます。ポーランドの郵便サービス大手インポストが2010年から始めたサービスです。ポーランド全土で利用できるサービスとして確立されています。現在では、インターネット上で注文した食料品をロッカーで受け取れるサービスや、インターネット手続きした後にロッカーに衣類を預けると翌日クリーニング済みの衣類をロッカーで受け取れるクリーニングサービスも加わっています。

 宅配ロッカーサービスはインポスト側にも利点があります。個別に家を回るより、街のロッカーに配達すればよいので、配達距離の削減になります。日本の宅配便の場合受取人が居宅していないと再配達となりますが、宅配ロッカーサービスは「再配達」が発生しません。加えて、商品の受け渡し時に人が介在しないので、人件費の削減にもなります。欠点としては、街のロッカーから荷物を運ぶ利用者の負担があります。またロッカーに入りきらない大きい物はサービスの対象外となります。

 ロッカーという旧来の物とインターネットという新しいネットワークが融合したサービスと言えます。日本でも広まるかもしれません。

串八珍に行ってきました

 今日は放課後の夜、同級生の男性2人と串八珍に行ってきました。カシラ、タン、バラ、ハラミなどを一人二本ずつ、ピーマンチーズ豚巻きや串キャベツなどを食べました。やっぱり、やきとんは美味しいですね。話が盛り上がって、過去見たテレビドラマの話は非常に面白かったです。また行けたら良いなと思いました。楽しい時間でした。

オフを楽しめなくなっている

 今日はせっかくオフにしたのに、あんまり楽しむことができませんでした。学校が始まったこともあり、あんまり羽目を外す気分じゃなくなっていますね。お金を使わないようにしましたし。結局、いつもの日曜日のように、散歩して、ブログ書いてというような感じで過ごしてしまいました。緊張感があるということで良いんですかね。

 あと本でも読もうかなと思ったのですが、専門学校で普段勉強しているせいか、勉強以外の新しい分野の知識を入れないように脳がしていますね。なんか簡単な内容の本しか読めなくなっています。でもそれだと、読み応えがなくすぐに飽きてしまって、なんだか色々楽しむことができなくなっています。

 やはり今は苦境の中から、喜びを見出すしかないのかもしれませんね。やってやりますか。

國粹会トップが山口組組長代行に就任するという噂について考えてみる

 本日行われた山口組定例会において、昨日より噂になっていた司忍組長引退や新人事体制の発表はなかった模様です。とはいえ発表内容を外に漏らすことを固く禁じたので、現時点で情報がマスコミや関係者に伝わっていないだけで、山口組内部では新しい動きが進み始めている事態も考えられます。当日段階では、判断のつきにくいところです。司忍組長引退の話は4月4日発行の夕刊紙日刊ゲンダイの記事から出てきています。日刊ゲンダイの記事によれば、司忍は引退、後任として恐喝罪により2014年から懲役刑に服している若頭・髙山清司を次期組長(七代目組長)に就任、もしくは若頭補佐・藤井英治をワンポイントリリーフとして組長代行に就任させるという話が一部で噂されています。恐喝罪で京都地裁、大阪高裁から6年の懲役の判決を下された髙山清司の出所は2020年になります。ヤクザ社会では過去に服役中にトップ就任をした例があり、髙山清司の服役中組長襲名は異例のことではありません。3月17日、山口組歴代組長の墓参りで報道陣に姿を見せた司忍の外見は以前と若干異なっていました。従来蓄えていた口ひげに加えて、顎ひげや頬ひげも蓄えて、70代の年齢にも関わらずワイルドな印象を見せていました。実話誌に掲載された写真に映る司忍の目つきも鋭く、力で支配するヤクザ組織のトップにふさわしい雰囲気を漂わせていました。外見情報だけから判断するに、引退を考えているようには窺えません。
*今回記事を作成するにあたり『実話時代』各号、『六代目山口組ドキュメント2005~2007』(溝口敦、2013年、講談社+α文庫)、『山口組の100年 完全データBOOK』(2014年、メディアックス)、『FOR BEGINNERS シリーズ ヤクザ』(朝倉喬司、2000年、現代書館)、『山口組動乱!! 日本最大の暴力団ドキュメント 2008~2015』(溝口敦、2015年、講談社+α文庫)、『山口組 分裂抗争の全内幕』(盛力健児+西岡研介+鈴木智彦+伊藤博敏+夏原武、2015年、宝島社)の情報を参考にさせて頂きました。

 ワンポイントリリーフ候補に浮上している藤井英治は1次団体・山口組で最高幹部級の若頭補佐を務める一方、2次団体・國粹会の会長でもあります。國粹会は首都圏の老舗博徒系ヤクザ組織の連合組織でした。1958年日本國粹会として発足します。1991年に「國粹会」に組織名を変更。國粹会に参加する各博徒系ヤクザ組織は銀座、六本木、浅草、渋谷などの東京有数の繁華街に縄張りを歴史的に持っていました。『FOR BEGINNERS シリーズ ヤクザ』(朝倉喬司、2000年、現代書館)によれば、昭和初めのころ國粹会・生井一家は築地や日本橋辺り(当然、銀座も含まれます)、國粹会・田甫一家は浅草から千住辺りを縄張りとしていました。太平洋戦争後、住吉会や稲川会などに縄張りを貸し出し、地代を受ける立場にもなり、経済的に富む連合組織でした。2001年、國粹会の工藤和義会長は國粹会の組織改革を打ち出します。従来の「各団体横並びの組織形態」をやめて、國粹会と各団体を垂直的関係にする直参体制に移行しようとします。しかし反発する団体が出て、國粹会は内部抗争に陥ります。内部抗争は2003年に終結します。その際外部から手を貸したのが山口組でした。2005年國粹会は山口組の傘下に入ります。國粹会の工藤和義会長は山口組の最高顧問の地位を与えられます。つまり國粹会の「山口組としての活動歴」は10年しかないのです。

 國粹会の山口組入りに、危機感を抱いたのが住吉会や稲川会などの関東ヤクザ組織です。山口組が縄張り返還を要求する事態が浮上したからです。特に、親戚関係(同盟関係)のない山口組と住吉会の間で、緊張感が高まります。2007年2月、住吉会幹部が射殺されたことを発端に、抗争に至ります。和解により抗争はすぐに終結しますが、抗争終結の1週間後、工藤和義会長は拳銃自殺します。同年、國粹会の会長を継いだのが藤井英治です。藤井英治会長就任の際、國粹会は同時に内部の組織形態を直参体制に変更します。会長就任前、藤井英治は組織内ナンバー2の理事長を務めていました。自身が率いる組織は長野県諏訪市に拠点を置く信州斉藤一家でした。長野県の中央に位置し、2016年4月現在人口5万人に満たない諏訪市で活動する信州斉藤一家は地理的に離れていますが、國粹会の参加団体でした。國粹会つまり山口組2次団体トップに就いた藤井英治は、1次団体・山口組の執行部に短期間で引き立てられます。2009年「幹部」に昇格、2011年「若頭補佐」に昇格します。短期間で執行部に上がれた大きな要因には、國粹会の経済力があります。組長代行候補として浮上している背景にも、藤井英治自身が率いる國粹会の経済力があると見てよいでしょう。

 経済的に豊かな団体を率いているとはいえ、「新規参入」の色合いが抜けきれない國粹会の藤井英治を組長代行にするのは、長く山口組に在籍している人間からすれば、面白くない話ではあります。また山口組の活動歴が浅いことから、藤井英治が山口組内部の人間関係に精通しているとは言い難いです。山口組執行部内において藤井英治は関東ヤクザ組織との交渉、関東ヤクザ業界の知見には長けています。しかし山口組内部の調整事に関して長けていると言い難いです。山口組内部の調整事に関しては、やはり古参の幹部の方が長けています。統括委員長の橋本弘文(極心連合会)、本部長の大原宏延(大原組)、若頭補佐の森尾卯太男(大同会)など適任者がいます。しかし候補に上がっていません。國粹会は弘道会と親しい関係にあります。弘道会会長で山口組若頭補佐を務める竹内照明が山口組組長代行に就任すると、「弘道会支配」の印象を強くしてしまいます。不満を感じて、神戸山口組に移籍する傘下団体がまた出てくるかもしれません。「親・弘道会」の國粹会トップを組長代行にする噂話からは、髙山清司が復帰するまで、山口組内部において支配力を維持したいという弘道会の狙いが透けて見えます。

桜を見に行ってきました

 今日は学校が新入生オリエンテーションということで、授業がありません。せっかくなので、今日は一日ゆっくりすることにしました。とはいえ、午前中はパソコンの前に座り、山口組定例会の情報をただひたすら待っているという非生産的なことをしていました。いかんですな…有意義に時間を使わないと。

 昨日は学校の授業が終わり、18時に近い時間になっていたので、学校を即出ることにしました。学校を出て、前にいる同じ学科のグループに、「お疲れ様で~す」と元気よく挨拶して、そのままスタスタを急ぎ歩きで通り過ぎようとしたら、「これから桜見に行きませんか」と誘われてしまいました。今日が休みだったので、家に帰ったら洋画DVDを見ながら酒を飲もうと計画していたので、正直「えっ。桜…正直興味ないなー」と思ったのですが、結局了承しました。やはり人付き合いは大切ですからね。そのグループは1年生の頃は、隣のクラスだったので、最近そのグループの人達とはようやく話すようになりました。

 九段下まで皆で桜を見に行きました。結構人がいましたね。色々と話せたのはよかったです。やはり何でもそうですが、場を踏まないことには、関係を深めることができません。イケメンやお金持ちでない限りは。これからも、コツコツと小さいコミュニケーションを積み重ねていくことを僕は重視していきたいと思います。

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山口組の新人事に注目

 今日、山口組の定例会で開かれますが、焦点になるのが新人事です。昨日の日刊ゲンダイの記事では、なんと司忍組長の引退説が出ていました。記事によれば、司忍組長引退をきっかけに新陳代謝を図り神戸山口組との戦いに一層励むというニュアンスで引退説が取り上げられていました。しかし引退というのはあまりにも唐突な感じです。

 恐らく噂であって、引退はないと予想します。でも何らかの人事の変更はあるんでしょうね。ともかく今日の発表に注目です。

道仁会・小林哲治と浪川会・浪川正浩の存在感の高まり

 現在、ヤクザ業界の外交活動で存在感を発揮する人物がいます。道仁会の小林哲治と浪川会の浪川正浩です。今年2月、稲川会の内部問題が1つ解決に至りました。2011年5月、稲川会の傘下団体・山梨一家が稲川会から脱退、山梨俠友會を立ち上げます。以後山梨俠友會は稲川会と激しく抗争を繰り広げます。しかし今年2月、山梨俠友會・佐野照明会長が山梨県警南甲府署に山梨俠友會の解散届を提出、両団体の抗争は終結しました。旧山梨俠友會勢力は稲川会に戻ることになり、稲川会の傘下団体・佐野組が新たに発足しました。2014年12月には、佐野照明の乗る車が激しく銃撃され、佐野照明は重傷を負いました。組織の規模も踏まえると、山梨俠友會は劣勢状態に陥っていました。とはいえ山梨俠友會自ら稲川会に謝罪すると、敗戦を自ら認めた行為に等しく、山梨俠友會にとってヤクザ組織の体裁が保てません。暴力を活動の源とするヤクザ組織にとって、敗戦の受け入れは、組織の存在意義を揺らがします。裏返せば、ヤクザ組織とは「敗戦しない」ことが、組織維持にとって必要不可欠なのです。一方、稲川会側も脱退した勢力を安易に戻すと、組織規律を緩ませてしまいます。
*今回記事を作成するにあたり『実話時代』各号、『六代目山口組ドキュメント2005~2007』(溝口敦、2013年、講談社+α文庫)、警察庁「平成27年の暴力団情勢」の情報を参考にさせて頂きました。

 ヤクザ業界において、抗争終結の役割つまり仲裁人を果たしてきたのが第三者の立場にあるヤクザ組織です。仲裁人の存在が加わることで、抗争終結に向けた動きは円滑化します。抗争終結に伴い、抗争当事者の両団体には不利益が発生します。稲川会であれば「脱退勢力の再加入」、山梨俠友會であれば「組織の解散」、両者にとって不本意な結果です。不本意な話を受け入れた上層部に対して責任追求の声が内部から上がる事態です。しかし「仲裁人による提案」という体裁をとれば、責任追求の動きを仲裁者の方向にも分散させることができます。仲裁人の主な任務としては、勝ち負けの色合いを薄めることがあります。明確な勝ち負けの色が出てしまう仲裁案を提示すると、負けの色がつく組織側が反発してしまい、仲裁が失敗してしまいます。今回稲川会と山梨俠友會の間に入ったのが、道仁会の小林哲治会長と住吉会幸平一家の加藤英幸総長です。2人は昨年暮れから抗争終結に向けて動いていまいした。今年2月17日、道仁会の小林哲治と佐野照明は、稲川会幹部と会談します。佐野照明が解散届を提出した後、2月24日道仁会の小林哲治と佐野照明は、稲川会トップ清田次郎会長を含めた最高幹部と会談、手打ちの儀式が行われた模様です。稲川会が復縁内容を知らせる為に、他団体に送付した「御通知」の回状においても、小林哲治の名前が記載されていました。小林哲治の果たした役割の大きさ窺えます。

 浪川会の浪川政浩も活発的に動いています。3月29日、神戸山口組の会合が東京の浪川会の事務所で行われました。他団体の事務所を借りて行った背景には、安全性の確保があります。以前は歌舞伎町の喫茶店などで神戸山口組の東京会合は行われていましたが、山口組側の組員が取り込囲むなど、妨害が入るようになりました。山口組と神戸山口組ともに「中立的」立場をとる浪川会の事務所であれば、山口組も手を出すことができません。浪川会の事務所を取り囲むことは、「浪川会への敵対行為」を示すことにもなりかねないからです。山口組としては余計な敵を増やしたくありません。浪川会のトップ・浪川政浩はヤクザ業界において抜群の知恵者であり、「神戸山口組の外部ブレーン」と目されています。

 道仁会と浪川会はともに九州の福岡県を本拠地とする1次団体のヤクザ組織です。浪川会に属する勢力は、元々道仁会に属していました。2006年5月、道仁会トップが引退を表明、それに伴い勃発した後継人事争いにより、道仁会は分裂しました。道仁会傘下団体の最大勢力・村上一家をはじめとした複数団体が道仁会を脱退、同年7月九州誠道会を立ち上げました。トップである会長職には、脱退派の中核組織・村上一家の村神長二郎総長が就任します。当然道仁会は、脱退派に絶縁処分を下します。九州誠道会の後継団体が浪川会です。警察庁「平成27年の暴力団情勢」によれば、現在道仁会は約550名、浪川会は約250名の構成員を抱えています。近年のヤクザ組織の傾向である「構成員数を上回る準構成員数の組織形態」を踏まえると、道仁会は1000名、浪川会は500名程度の組織人数と見るのが妥当です。道仁会は、福岡、佐賀、長崎、熊本の4県で活動しています。本部は福岡県久留米市にあります。一方、浪川会は道仁会同様、福岡、佐賀、長崎、熊本の4県での活動に加えて、東京都や山形県でも活動拠点を置いています。本部は福岡県大牟田市にあります。両団体を源流とする道仁会は初代会長・古賀磯次の時代から好戦的なヤクザ組織でした。1982年3月、久留米市で道仁会は向山一家と抗争、結果向山一家は解散します。1983~1984年、久留米市より南の大牟田市で道仁会は馬場一家と抗争します。道仁会有利の形で抗争は終結します。1980年代前半で、道仁会は久留米市と大牟田市の2都市で確固たる勢力を築き上げたのです。1986~1987年には、山口組傘下団体の稲葉一家(熊本市)と伊豆組(福岡市)と抗争を繰り広げます。道仁会は稲葉一家構成員を射殺するなど、戦闘力の高さを示しました。ヤクザ組織間同士の抗争においても、射殺という攻撃方法を実行できる組織は多くありません。小競り合いや敵対事務所や幹部宅への銃撃の範囲で抑えるヤクザ組織もありあます。

 2006年以降の分裂抗争においても、両団体は激しい戦いを見せていきます。2007年7月九州誠道会の幹部2名が殺害されます。報復として、同年8月道仁会トップの大中義久会長が射殺されます。余波で同年11月、病院でヤクザ組織とは関係のない入院患者が誤って射殺されるという悲劇まで起きました。トップを失くした道仁会は、当時服役中の理事長・小林哲治をトップに据えます。小林哲治は2010年に服役から戻ります。一方九州誠道会側は、初代会長・村神長二郎が引退、村上一家出身の浪川政浩が会長職を引き継ぎました。2012年10月改正された暴対法の施行、同年12月改正された暴対法に基づき、両団体は「特定抗争指定暴力団」に指定されます。指定された団体は、事務所の使用ができない、5人以上の組員の集合ができないなど、厳しい制限が科せられます。違反すれば、即時逮捕される規定も改正された暴対法には盛り込まれています。2013年6月11日、両団体幹部が福岡県警久留米署を訪れ、道仁会側が抗争終結の「宣誓書」、九州誠道会側が「解散届」を提出することで、両団体の抗争は終結します。両団体の力関係から、実質引き分けの形での終結となりました。九州誠道会の「解散」は、道仁会への「配慮」を示した形となっています。抗争の結果、「分裂」を許してしまった道仁会に顔が立つように、九州誠道会は解散という「負の役割」を受け入れたと推測できます。同年10月、旧九州誠道会勢力は新団体・浪川睦会を立ち上げます。途中、浪川会と組織名を変更し現在に至ります。今年2月山梨俠友會が解散した上で新たに設立した佐野組として稲川会に戻る話の原案は、道仁会と九州誠道会の抗争終結時の手打ちから来ているものと考えられます。

 道仁会の小林哲治と浪川会の浪川正浩の外交力は、2006年~2013年の自組織の抗争で培われたものです。抗争終結の収め方や抗争方法など、蓄積された経験や知識が他団体の幹部より豊富です。現在の山口組と神戸山口組の抗争においても、2人の需要は高く、何かと関与してくることが予想されます。

現場仕事を沢山こなすこと

 先日、ネットニュース編集者・著述家の中川淳一郎さんのイベントに行ってきました。最近中川さんの新刊『節約する人に貧しい人はいない。』が幻冬舎から出された関係なのか、幻冬舎の編集者の方との対談形式でした。内容もフリーランスでどう食べていくかというものでした。後半は漆原直行さんというフリー編集者・ライターの方も参加されました。フリーライター業界をはじめとしたフリーランスの世界を知る事ができました。以下に自分なりにまとめてみました。フリーランスは厳しいということがよく分かりました。

 その中で生き残りなおかつ経済的にも大変成功してきた中川淳一郎さんが極めて特殊だったということで終わらせてしまいがちです。ただ組織で生きていく人にとっても、フリーランスの世界やまたフリーランスの世界で成功した人から、学べる点はいくつか僕はあると思っています。確かに中川淳一郎さんのお話を聞くと、拡大途上のネット企業と仕事できたこと、フリーランスになっても前職の会社である博報堂の人脈が活きたことなど、結構恵まれているというか、運がよかったんだなと思う所があります。しかしそれらを呼び寄せたのは中川淳一郎さんの実力です。実力がなければ拡大途上のネット企業も仕事をくれなかったでしょうし、博報堂の人脈を上手く利用できたのも中川淳一郎さんの普段のコミュニケーションがあったからです。

 またイベントの後半で中川淳一郎さんは今でも次の金脈を探すべく、今はネット動画について着目していると仰っていました。実はイベント前半で、中川淳一郎さんは「今何時間もネット動画を見てレポートする仕事をこなしている」と自虐的に言って、笑いを取っていました。でも実は、その長時間仕事は、次の金脈探しも兼ねていたことが分かりました。成功したければ、現場仕事を沢山こなし、その積み重ねたもので勝負していくことと仰っていました。

 どんな仕事においても、共通することだなと思った次第です。

グループワークのメンバー発表

 高次脳機能障害と失語症という専門科目のグループワークのメンバー発表がありました。将来の仕事に直結する科目だけに、非常に内容が難しく、なおかつ評価も厳しいです。よって専門科目のグループワークは非常に大変です。でも良いメンバーで組む事ができました。グループワークが物凄い懸念事項だっただけに、ホッとしました。実際今日少し動いたのですが、各人前のめりになってやっていました。スケジュールややることも次々に決まって、慌ただしいですが、計画的で大変心強いです。周りには甘えることなく、自分も良い所を見せていきたいです。
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