横浜を巡るヤクザ組織

  3月21日深夜、神奈川県藤沢市の繁華街で、稲川会系幹部が山口組系幹部を拳銃で発砲する事件が起きました。同日、発砲した幹部は出頭し、逮捕されました。打たれた幹部は、死には至らなかったものの、重傷を負いました。ヤクザ組織間による暴力事件で、最初に被害を受けた側が報復をせず、事件の処理を警察当局に一任することはしません。ヤクザ組織は収益獲得において、暴力を基盤とします。ヤクザ組織が重要視する暴力は、一般社会に加えて、他のヤクザ組織に対しても効き目がなければいけません。ヤクザ組織間による裏社会の利権獲得競争は激しく、穏便にまとまらない場合、ヤクザ社会は暴力により事を解決します。抗争相手組織より強い暴力性を示せれば、他の組織から恐れられ、業界内での地位は上昇します。裏社会の利権を優先的に獲得でき、組織を拡大できます。抗争は「暴力装置の実力」が測られる場なのです。小さいヤクザ組織にとって業界内の「上昇経路」としての役割も果たしてきました。一方、暴力性を示すのに失敗すれば、業界内での評判は下落の一途を辿ります。ヤクザ社会の「既存の序列」を流動化させる機能が抗争にはあるのです。ヤクザ社会において抗争が持つ意味は大きく、被害を受けた側による報復は必至とする見方が妥当です。

 もちろん抗争を重ねてきたヤクザ社会には、抗争が無軌道に拡大しないよう、収束させる為の知識やノウハウが蓄積されてきました。ヤクザ組織より強大な暴力装置・行政権力を持つ警察当局が日本にいる以上、ヤクザ社会は抗争を一定範囲内に収める必要があるからです。ヤクザ社会内で「手打ち」と言われる和解の場が設けられ、抗争組織間で和解が成立したら、抗争は終結します。「抗争と無関係の組織が間に入り和解の場を開く」「和解が成立したら相手組織を攻撃しない」等の、業界ルールが存在して、どのヤクザ組織にも強い拘束力を与えています。暴力一辺倒に陥らず、業界内ルールを順守する規律性が、ヤクザ組織を今日まで生き残らせている一因です。
*今回記事を作成するにあたり、『山口組永続進化論』(猪野健治著、だいわ文庫)、『山口組の100年 完全データBOOK』(メディアックス)、『FOR BEGINNERS シリーズ ヤクザ』(朝倉喬司著、現代書館)、『実話時代』2014年5月号、2015年2・3・4月号、『週刊ダイヤモンド』2015年3月21日号、『選択』2014年10月号「土着権力の研究 第42回 神奈川県 藤木幸夫」の情報を参考にさせて頂きました。

 しかし現在、ヤクザ組織犯罪の厳罰化により、刑務所に行く組員の負担度は増しています。ヤクザ組織は抗争を避ける傾向にあります。加えて、被害を受けた山口組側が稲川会に現在報復しない理由として、両団体の同盟関係があります。事件が起きた藤沢市の東隣に位置しているのが横浜市です。太平洋戦争後、横浜は稲川会の牙城でした。しかし横浜に徐々に進出し始めた山口組が1963年、2次団体・益田組を横浜に設立します。益田組設立前の同年、横浜市内で錦政会(稲川会の旧名)と山口組との組員による争いが起き、錦政会側は山口組進出を警戒していました。しかし1972年、両団体の幹部が「親戚関係」になる盃を交わし、同盟関係を結びます。以降、節目に両団体の幹部は「親戚関係」になる盃を交わし、同盟関係を維持しています。今回の藤沢市の事件のように、下部団体同士の抗争は過去にありました。北海道・札幌に拠点を置く、山口組2次団体・誠友会と稲川会2次団体・越路一家が1989年に抗争を起こしましたが、大きくならず終結しました。現在まで、両団体は大きな抗争をせずに至っています。現在も横浜では稲川会の勢力が強く、組織行事を行う会館を横浜市に持っています。横浜を拠点にする山口組の2次団体として、益田組と浜尾組の2団体があります。山口組五代目組長・渡辺芳則体制開始時に、益田組からの内部昇格で、浜尾組は誕生しました。初代組長の浜尾将史は益田組の若頭経験者です。また双愛会(構成員200名とされる)という1次団体も横浜で活動しています。千葉県市原市を本拠地にする双愛会ですが、双愛会の初代会長・高橋寅松が横浜に基盤を持つ親分の舎弟だったことで、横浜と歴史的なつながりを持ってきました。

 山口組が関東地方に初めて公式拠点を横浜に置いてから、横浜以外の関東地方に2次団体を持つのは、東京の老舗ヤクザ組織・國粋会を傘下に収める2005年まで待たなければなりません。長い間、山口組唯一の「関東支店」の役割を果たしていたのが横浜の益田組です。山口組にとって横浜は親和性の高い都市でした。港町・神戸を本拠地とする山口組にとって、同じ港街の横浜は共通点が多く、動きやすい場所だったのです。1859年横浜港開港、1868年神戸港開港、港として歩んできた時間も同じです。両港のつながりも歴史があります。

 1926年、港湾荷役業者の全国規模の団体が設立されます。鶴酒藤兄弟会です。有力な港湾荷役事業者であった鶴井寿太郎、酒井信太郎、藤原光次郎の頭文字をとって組織名は作られました。鶴井寿太郎は神戸港でニッケル・ライオンズという外資系会社の荷役を請け負う鶴井組の親分でした。酒井信太郎は元々鶴井組で働く、鶴井寿太郎の子分でした。ニッケル・ライオンズが横浜に営業拠点を置く為に、1912年に酒井信太郎が神戸から横浜に派遣されました。横浜を新たな拠点にした酒井信太郎は酒井組を設立し、横浜港で頭角を現していきます。鶴酒藤兄弟会設立の背景には、鶴井寿太郎と酒井信太郎の人間的関係、両者が両港の港湾荷役における重要人物だったことがあります。鶴酒藤兄弟会には全国の港の荷役業者が入りました。鶴酒藤兄弟会の神戸地区責任者になったのが、山口組二代目組長・山口登です。酒井信太郎の子分格として有名なのが、藤木幸太郎、鶴岡政次郎、笹田照一の3人です。藤木幸太郎は後に藤木企業を設立、横浜港の重要人物になります。鶴岡政次郎と笹田照一は関東の大ヤクザ組織の親分になります。元々神戸にいた笹田照一は、横浜に移り横浜港で事業もしますが、一方で関東地域を基盤とする笹田一家を立ち上げます。双愛会の初代会長・高橋寅松は笹田照一の舎弟でした。

 1946年山口組三代目組長に就任した田岡一雄は、二代目時代に培われた「鶴酒藤兄弟会のネットワーク」を活かしていきます。ヤクザ同士の鶴岡政次郎と笹田照一は「親戚関係」の盃を交わしました。藤木幸太郎とも関係を構築します。田岡一雄は藤木幸太郎から右翼の田中清玄を紹介され、東京の政治に足場を作ります。港湾荷役という領域における神戸港と横浜港の太いパイプの存在により、山口組の横浜進出は容易になったのです。田岡一雄と藤木幸太郎の関係の濃さを物語るのが全国港湾荷役振興協会(全港振)です。1956年港湾荷役業の2次下請け団体の地位向上を目的とする団体として全港振は設立されました(1966年に全港振は解散)。一般事業にヤクザ組織が進出していた歴史の材料として、田岡一雄が全港振の副会長に就いていたことは有名です。会長は藤木幸太郎でした。藤木幸太郎の息子、藤木幸夫は父の地盤を受け継ぎ、現在横浜の政治・経済界において多大な影響力を及ぼしています。横浜カジノ誘致のキーマンとしても取り上げられています。
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國粋会を収めた山口組の東京における優位性

 現在山口組の2次団体で、東京を拠点にする國粋会は、元は独立した1次団体でした。山口組傘下に入る発端になったのが、2001年に陥った内部抗争です。國粋会は、東京をはじめとする関東の伝統ある博徒組織を母体とするヤクザ組織が集い、1958年「日本國粋会」という組織名で設立されました。1991年國粋会に組織名が変更されています。國粋会は、参加組織を一律に横並びとする連合体の形態をとっていました。組織の長である「國粋会会長」が参加組織に対して絶対的な命令権を持たない仕組みです。伝統ある博徒組織を母体にするヤクザ組織を多く抱えていた背景から、國粋会は首都圏に広大な縄張りを持っていました。他の関東ヤクザ組織に「貸しジマ」という形で縄張りを貸し出し、対価として縄張りの地代を得ていました。「首都圏縄張りのオーナー」の色合いを強く持つヤクザ組織です。『六代目山口組ドキュメント2005~2007』(溝口敦著、講談社+α文庫)によれば2005年時点で、「東京、千葉、神奈川など一都六県に構成員約470人、準構成員約600人」(p.46)の人員がいました。また1972年結成当初からの関東二十日会のメンバーでもありました。
*今回記事を作成するにあたり、『現代ヤクザ大事典』(実話時代編集部編、洋泉社)、『山口組の100年 完全データBOOK』(メディアックス)、『六代目山口組ドキュメント2005~2007』(溝口敦著、講談社+α文庫)、『実話時代』2014年5・6・11月、2015年2・3月号の情報を参考にさせて頂きました。

 2001年3月國粋会の工藤和義会長は、組織を強固にする為、連合体を廃止し「親分・子分」制度を採り入れることにしました。「親分・子分」制度を採れば、参加組織は「傘下組織」に変わり、会長命令は絶対になります。しかし國粋会に所属する生井一家、佃繁会、落合一家の3団体が、「親分・子分」制度の導入に反対します。工藤和義会長側は強硬の構えで、3団体の長に「絶縁処分」という厳しい脱退処分を下します。4月以降関東各地で、工藤和義会長側と3団体の間で抗争が始まりました。工藤和義会長側は、工藤会長が稲川会の稲川裕紘・三代目会長と「舎弟」の関係を持っていた事から、稲川会に近い立場でした。一方、3団体側は住吉会と近い距離にありました。國粋会の内部抗争は、稲川会と住吉会を巻き混み、複雑の様相を呈していました。その後、山口組2次団体・山健組の仲介が奏功し、2003年10月内部抗争は終結します。3団体の長の引退と引き換えに、3団体が國粋会に復帰することで、事態は収拾しました。各ヤクザ組織に送られた復縁状には、当時の山健組組長桑田兼吉の名が、仲介の労の形で入っていました。山口組が國粋会に深く入り込んだことを、関東ヤクザ側に示した格好になりました。

 2005年8月山口組において、組織の長が替わりました。新たに六代目組長に就いたのが、名古屋を拠点とする2次団体・弘道会を率いてきた司忍です。1カ月後の2005年9月、國粋会は関東二十日会を脱退、山口組の傘下に入ります。関東の有力1次団体を傘下に収めるにあたり、発足したばかりの六代目山口組は厚遇で対応します。工藤会長は司忍の「舎弟」になると同時に、山口組の最高顧問になりました。六代目山口組において、1次団体としての組長・若頭クラスに次ぐ地位に就いたのです。國粋会の山口組入りは、東京に初めて山口組が2次団体を構えたことを意味します。また「首都圏縄張りのオーナー」の最終的決定権が、國粋会から山口組に移行したことも意味していました。國粋会の縄張りを借りている関東ヤクザ側からすれば、今後山口組の意向次第で、縄張りを返還する事態が浮上したのです。縄張りを失う関東ヤクザ組織は苦境に陥ります。山口組が現状維持を採る可能性もあります。しかし縄張りを借りている関東ヤクザ側は、最終的決定権を持つ山口組に常に配慮しなければならなくなったのです。山口組は首都圏の縄張りに多大な影響力を及ぼすことができるようになりました。

 余波は2007年2月、山口組側と住吉会側の抗争を勃発させます。國粋会工藤会長の拳銃自殺という悲劇もあり、抗争は終結します。2014年3月関東ヤクザ側は関東二十日会を解消し、山口組2次団体になった國粋会を新たなメンバーとして迎える形で関東親睦会を結成しました。國粋会の存在抜きには、首都圏のヤクザ社会の調整が難しいことを、物語っています。現在、六代目山口組は東京の2次団体として、國粋会と落合金町連合の2つの組織を持っています。落合金町連合は2011年10月、國粋会からの内部昇格という形で2次団体に格上げされました。「連合」の名前が示すように、國粋会内の落合一家、金町一家、保科一家の3団体が合併したヤクザ組織です。落合金町連合は関東親睦会に入っていません。

 2001~2003年の國粋会内部抗争時、工藤会長側は稲川会に近く、一方生井一家等の3団体は住吉会に近い立場にありました。もし関東ヤクザ側の稲川会と住吉会が、國粋会内部抗争時、互いの近い勢力を傘下に収めていれば、山口組は國粋会を傘下に収めることはできませんでした。関東ヤクザ側にとって「首都圏縄張りのオーナー」の最終的決定権が、國粋会から稲川会・住吉会に移行するに過ぎません。稲川会と住吉会は惜しい機会を逃したように映ります。しかし仮に稲川会と住吉会が國粋会を傘下に収めていたら、難しい問題を抱えることになったと考えられます。縄張りの再編です。地域によって、Aという縄張りを借りるヤクザ組織は稲川会系だが、Aの新しいオーナー(最終的なオーナー)が住吉会になる場合が生じます。逆にBという縄張りを借りるヤクザ組織は住吉会系だが、Bの新しいオーナー(最終的なオーナー)が稲川会になる場合もあります。複雑になる縄張り関係を単純化する為に、縄張り再編を求める声が浮上してきます。しかし調整次第では、逆に揉め事を引き起すかもしれません。両組織とも、縄張りに混乱を生じさせるまでの國粋会の変化を望んでいなかったはずです。しかし國粋会の山口組入りという異例の展開により、首都圏の縄張りを巡る状況は一変しました。山口組の政治・外交的手腕の老獪さを示した出来事でした。

足裏の惨状

 先週は色々ありましたが、駆け抜けました。辛い事はありますが、よく考えたら、皆それなりに悩みを抱えて生きています。「自分だけ不幸なんだー」と言って、同情を売るマネをしたり、他人に甘えた生き方したら、人間安くなります。気を引き締めて生きていかないといけません。そういう生き方をしている人に、他人は応援してくれるものです。

 話題は変わり、先日足裏の惨状に気づきました。乾燥によるヒビ割れです。「なんか右足の指やカカトが少し痛いな」と思って、見たところ、「うわー」となってしまいました。足裏は、普段視界に入らないので、気づかずにいたら事態は深刻化していました。ドラッグストアに行って、相談して、尿素が入ったクリームを買って塗り始めたばかりなので、よくなるのか分からないのですが、早く完治して欲しいです。ドラッグストアの人いわく「ひどくなる前に、ケアをしとかないといけないですね。普段から皮膚が厚くならないように削るとか」とのこと。足は重要な箇所なので、これから冬場は足裏ケアに注力していきます。

『21世紀の資本』

 海外で話題だった経済書『21世紀の資本』の日本語版が昨年12月発売され、昨今の出版不況の逆風をものともせず、好調な売上を見せています。幅広い時代・地域を網羅した膨大なデータを基に、資本主義が必然的に格差を作り出すことを実証しています。著者はフランスの経済学者、トマ・ピケティ。分厚い本が示すように、沢山の論点が描かれています。一つとして、資本主義社会下では経済成長率より資本収益率の方が高くなることがあります。噛み砕いて言えば、労働による所得の伸びより、投資による所得の伸びが高いということです。投資の優位性として、「移動の早さ」があります。

 不況業界から好況業界に移行して儲けを図る時、具体的な活動として、労働の移行は「転職」、投資の移行は「投資先の変更」となります。数か月要する「転職」に比べて、証券会社への指示だけで済む「投資先の変更」は1日以内で済みます。労働は「人間の体」、一方投資は「お金」によって実行されています。つまり業界間の移動という面では、「お金」の方が「人間の体」より優れているのです。加えて、現代の金融技術の発達が、投資の「移動性の早さ」を加速させています。

 問題は、労働行為の平等性に対して、投資行為の平等性が著しく低いことにあります。投資行為可能な人と不可能な人を分けるのは、持つお金の量です。お金がなければ、投資はできません。社会主義国の盟主・ソ連が1991年に崩壊してから、資本主義は「思想の濃度」を高めていきました。濃度の高い資本主義に対応できるように、先進国の政治・社会体制は形成されていきました。富を増やす為に、現在投資行為の価値は高まっています。投資できる層にとって、ますます豊かになる機会が増えています。逆に、投資できない層は限られた機会で勝負するしかありません。投資の優位性が続くと、経済格差の拡大に拍車が掛かかる懸念があるのです。

海外旅行より国内旅行だ

 今日、北陸新幹線が開通しましたね。当分、人が多そうなので、行く気は起きないですが、落ち着いたら金沢に新幹線で行ってみたいです。逆に今は青森まで新幹線まで行ってみたいです。ちなみに東海道新幹線と上越新幹線しか乗ったことがありません。九州新幹線や長野新幹線、東北方面の新幹線も乗ってみたいですね。最近海外旅行に行きたい熱がさっぱりなくなりました。昔はアメリカとかに行ってみたいなーと思っていたのですが。よく考えたら、面倒な事が多いなと思いました。荷物を沢山持って行かないといけない、怖い思いをする飛行機に長時間乗っていないといけない、外国なので危険に巻き込まれないよう用心しないといけない、料理が美味しいとは限らない、言語が通じない、海外旅行なのでお金が高い、と大変なことばかりです。だから僕は思いました。わざわざ苦労しにいく海外旅行(僕独自の偏った考えですが)より、安心でき安く済む国内旅行の方断然良いではないですか。日本の観光地は、料理が美味しいし、場所によっては温泉もあります。そして何よりも、国内旅行は海外旅行に比べて、時間がとられません。家が好きで、家で海外ドラマのDVDを見ていたい僕にとっては、家を長期間離れる海外旅行は困ったものなのです。一生に一度海外旅行に行ければ良い、それも韓国にといった気持ちです。沢山国内旅行したいです。

イタリア料理店は鬼門だ

 雑感ブログも書いていきましょう。タッチタイピングは順調に上手くなっています。教科書通り、各キーに「押すべき指」を押せるようになりました。ここからキーボードを見ずに打てるようになればよいのですが。今の段階では「本当にできるのか」といった不安な気持ちです。とりあえず、練習あるのみですね。

 先日、母の方の親戚である従兄に目黒で会って、洋食店で食事をしてきました。従兄は歳はだいぶ上の中年で、地方から東京に単身赴任しており、管理職も勤めながら営業現場にも出ているサラリーマンです。親戚のお兄さんと食事をとる機会は、おそらく初めてで、大変貴重な話を聞くことができました。そして楽しかったです。お酒も久しぶりに外で飲みました。ところが、食事の終盤、食事とお酒の相性が悪かったのか、疲れていたのか、酔いと吐き気がひどくなってしまいました。幸い、我慢して、切り抜けましたが、いやー、何だったのでしょうか。ビールを飲んだ後、最後はワインを飲んだのですが、勢いよく飲んでしまったことと。最後にしめで食べたペペンロンチーノのニンニクとワインの相性が悪かったのかと思っています。今後イタリア料理店は鬼門かもしれませんね。イタリア料理店ではお酒は抑えていきましょう。明日からも頑張っていきますか。

スイスフラン高の背景と影響

 1月15日、スイスの中央銀行は自国通貨スイスフランに対する、上限を設けた無制限の為替介入停止を明らかにしました。2011年9月以降、スイスの中央銀行はスイスフラン安に誘導する施策を打ってきました。JETROによれば、2013年スイスの名目GDPは約6357億スイスフラン、輸出額は約2012億スイスフランです。名目GDP比の輸出割合が約3割に達しており、スイスにとって輸出産業が重要な要素であることが窺えます。円安で輸出産業が助かる日本の場合、2013年名目GDP比の輸出割合は約1~2割です。スイスは約800万人の人口で、内需に期待できないので、輸出が高くなる側面があります。2009年に発覚したEU加盟国ギリシャの経済危機を発端に、ヨーロッパ全体が不況に陥りました。EU加盟国の採用通貨ユーロは暴落し、代替先に選ばれたのが、EU非加盟国スイスの通貨であるスイスフランと日本の円でした。スイスフラン高騰は、スイス輸出産業の不振を意味します。3年数カ月続いたスイスの中央銀行による上限を設けた無制限の為替介入は、輸出産業保護が背景にありました。
*今回記事を作成するにあたり、『週刊エコノミスト』2015年3月10日号「スイス・フラン急騰で打撃 中東欧の住宅ローン市場」(小西丹著)、『FACTA』2015年3月号「スイスフラン暴騰が証明した「中央銀行の資産増大に限界」」(クロード・バウマン著)、JETRO(日本貿易振興機構)サイト、日本政府観光局サイトの情報を参考にさせて頂きました。

 スイスフラン安に誘導する為に行った策は、「スイスフラン売り・ユーロ買い」です。加えて「1ユーロ=1.2スイスフラン」というラインを決定しました。為替市場でスイスフランが買われた結果、「1ユーロ=1.1スイスフラン」というスイスフラン高に振れた場合。「1ユーロ=1.2スイスフラン」に戻るまで、スイスの中央銀行が「スイスフラン売り・ユーロ買い」を続行する施策です。結果スイスの中央銀行は、沢山のユーロを抱え込むことになりました。日本でも、円高時「円売り・ドル買い」の為替介入で、日本政府は沢山のドルを抱えることになりました。しかし現在のように、円安・ドル高の流れが強くなると、持っている沢山のドルは「為替差益」という価値を生んでくれます。仮に「1ドル=90円」時に買ったドルは、現在の為替相場が「1ドル=約120円」なので、30円の価値が生まれています。逆に、円高・ドル安の流れが加速していたら、事態は異なっていました。「1ドル=60円」の場合、30円の損が生まれていました。ユーロを大量に持つスイスの中央銀行にとって望ましい展開は、ユーロ高になることでした。けれどもギリシャの経済危機は終息せず、3月から欧州中央銀行は量的金融緩和を行い、ユーロ安の動きに拍車が掛かっています。含み損をこれ以上抱えられないことが、上限を設けた無制限の為替介入停止に至った大きな要因です。

 上限を設けた無制限の為替介入停止の発表後、スイスフランはユーロに対して前日比30%まで高騰しました。スイスフラン高の余波は他国に及んでいます。中東欧諸国において、スイスフラン建で形成されている住宅ローンは多いです。「スイス・フラン急騰で打撃 中東欧の住宅ローン市場」(小西丹著)の記事によれば、「ポーランド金融監督局(KNF)によれば、住宅ローンの約4割がフラン建てで、規模は360億ドル(約4兆3000億円)、GDPの約7%に上る」とのことです。外貨建てローンになるスイスフラン建て住宅ローンが中東欧諸国の人々を引き付けたのは低金利でした。経済的に豊かなスイスの金利に比べて、発展途上の中東欧諸国の金利は高いです。物価上昇が顕著で、金融制度が先進国に比べて整っていない発展途上国の金利は高くなります。中東欧諸国の人々にすれば、高い金利を支払う自国通貨建て住宅ローンより、低い金利で済むスイスフラン建て住宅ローンの方が魅力的に映ったのです。ただし外貨建て金融商品である以上、為替相場の影響からは逃れられません。スイスフラン建て住宅ローンを利用する中東欧諸国の人は、返済資金の調達は自国通貨の給料で賄いますが、返済の際スイスフランに交換する必要があります。スイスフラン安・自国通貨高の為替相場であれば問題ありませんでした。しかし目下のスイスフラン高・自国通貨安の為替相場は、返済資金を増加させます。スイスフラン建て住宅ローン利用率が高い国ほど、スイスフラン高の影響は大きいです。

 スイス本国の輸出産業は当然、観光産業もスイスフラン高に大打撃を受けています。通貨高の国には、費用が高くなる為、観光に行きたがらなくなります。2013年に訪日外客数が初めて1000万人を超えたことが物語るように、円安傾向になってから、日本観光産業は盛り上がっています。スイスフラン高において、少ない恩恵を受けるのはスイスの消費者です。近隣EU諸国での消費が安く済みます。スイスフラン高騰を裏返せば、ユーロ安基調が長期的に継続することを示しています。同時にヨーロッパの経済不況が長引くことも意味しています。

イスラム国の目論見

 イラクとシリアにまたがる地域を実効支配する武装組織・イスラム国が依然、猛威を振るっています。1月に日本人人質が殺害される事態があり、中東から遠い日本も、イスラム国の際立つ悪質さを実感させられました。抜群の残酷さ、インターネット動画演出の巧みさなど、イスラム国と他のテロ組織との違いを分ける点は多いです。その中でもより他の勢力との違いが際立つのが、国家建設を企んでいるところです。現在、世界各地に多くのテロ組織及び犯罪組織が存在しています。現在の反社会組織の特徴として、革命的要素を持っていないことがあります。革命は、現在の体制を破棄して、全く異なる体制を打ち立てる事態を意味します。1959年のキューバ革命を成し遂げたカストロらの集団は、革命前のキューバ政府から「反社会組織」「テロ組織」と見なされていました。今の中国を統治する中国共産党も、建国を開始する1949年までは、同様の扱いを受けていました。2つとも新体制樹立という最終目標を踏まえて活動していた反社会組織です。

 対照的に現在、革命的要素を持つ反社会組織は少ないです。1991年ソ連崩壊が示すように、資本主義の代替体制と思われていた社会主義は良い方向に機能しませんでした。社会主義失敗の明るみにより、資本主義の肯定感が強まり、革命の魅力は色あせていきました。現在の反社会組織の多くは、現体制に害悪を与える活動をしていますが、現体制を肯定しています。「現体制の存続」を前提もしくは活用することで、悪事によって利を得られる仕組みを反社会組織は構築しています。メキシコの麻薬組織は、メキシコやアメリカ両政府の打倒を目標としていません。逆に、麻薬の受け入れ先であるアメリカが正常に機能して経済大国を維持し続けて欲しいと願っています。メキシコの麻薬を高く買ってもらえる背景にアメリカの経済的豊かさがあるからです。テロ組織は表向き「革命」を標榜しています。しかし革命後のビジョンや国家運営能力のなさは、理解不能な非人道的な行動によって、証明されています。新政府樹立を夢見る組織は、国民になりうる人々に不人気の事を避けます。テロ組織の実態は、犯罪者集団であり、自組織の「地位向上」の為、テロを行っているに過ぎないのです。

 現在の文脈に沿えば、イスラム国の存在は異質に映ります。とはいえ、類似例はあります。アフガニスタンのタリバン政権です。内戦時に、1996年首都カブールを奪取、1999年から2001年まで国土の大半を支配していました。タリバン政権も評判が悪かったです。厳格なルールを国民に強制したり、歴史的価値のある仏像の破壊を行いました。2001年アメリカの同時多発テロが発生。実行組織アルカイーダとの関係が疑われ、アメリカ軍の攻撃、加えて反タリバン勢力の攻撃による大打撃を受けてタリバン政権は崩壊します。ただし近年復活し、勢力を拡大しています。焦点は、本気で国家運営をする意思がイスラム国にあるのかということです。戦闘人は多いですが、官僚的体質を持った人が豊富にいるようには見えません。苦手分野への進出は、組織を弱体化させる要因になります。イスラム国が強さを保ち続けるには、国家組織よりテロ組織の「器」が合っています。この結論を導き出すのは簡単です。しかし事態は全く逆の方向に動いています。この矛盾がイスラム国の不気味さを増幅させています。世界中の不満分子にとってイスラム国への求心力として働いています。イスラム国は実効支配下の人々に対し恐怖政治を敷き、長期的な視野を持っているとは言い難いです。イスラム国の組織としての最終的な目論見は依然と不明です。
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