従軍慰安婦の強制連行について冷静に考える

 日本におけるリベラル思想をマスコミビジネスとして体現してきた朝日新聞が逆風に立たされています。1982年から掲載された従軍慰安婦の日本軍による強制連行を巡る記事で、裏付け証言を行った吉田清治氏の内容が虚偽であったと、8月5日朝刊にて朝日新聞は認めました。過去に朝日新聞は誤報を行っていたのです。朝日新聞紙面上に連載を持つジャーナリスト池上彰氏が同連載にこの件に関する記事を書いた所、朝日新聞側から掲載を拒否される事態が起きました。ところがその話が明らかになると、朝日新聞は非難を浴び、一転池上彰氏の記事を掲載するに至るという迷走を世間に示してしまいました。「事実を伝える」ことは報道機関の根幹機能です。朝日新聞には反省が求められます。

 第二次世界大戦中、日本軍兵士相手に売春する慰安婦は存在しており、慰安婦業に日本軍は関与していました。慰安所が設置されたのは戦地です。敵の攻撃に遭う可能性がある以上、むしろ慰安婦業側から日本軍による保護を求めます。軍との深い関わりがあって初めて、戦地の慰安婦業は成り立っていました。ここまでの事実については、左翼・リベラル系メディアは当然、右翼・保守系メディアも認めています。「従軍慰安婦」についてはどのメディアも認めているのです。また当時、日本において売春業は「広く黙認される」形で、公然と存在していました。

 売春の仕事は肉体的・精神的に過酷でした。医療が未発達であった当時、売春をする女性は簡単に性病になり、最悪死に至る場合も多かったです。売春業者側からすれば、売春婦を補充する業務が常に発生します。そこで登場するのが女衒と呼ばれる、売春業者へ人材を供給する専門業者です。女衒(売春人材供給業者)は、農村に行き経済的に困窮する農家の若い女性を買って、売春業者に売るのを仕事とします。「日本の農村」→「女衒」→「売春業者」という売春人材供給ネットワークが日本国内において公然と確立されていました。そのネットワークの延長線上に、戦地慰安婦業も形成されます。戦地である東アジアや東南アジアに設置された慰安所に、女衒は日本人女性を連れて行きました。加えて、当時日本の植民地だった朝鮮半島や台湾の女性も慰安婦の対象になりました。「日本の農村・朝鮮半島・台湾」→「女衒」→「戦地慰安婦業者」のネットワーク下で、日本軍は性的欲望を戦地で解消していたのです。

 吉田清治氏の証言を基にした朝日新聞の誤報記事は「日本軍が主体的に韓国の済州島で現地女性を慰安婦目的で強制連行した」という内容でした。結局、当時日本軍が済州島で強制連行したという根拠が薄い為、虚偽に基づく誤報という結論に至りました。この記事には1990年代から疑問を呈する声がありました。先程述べた人材供給ネットワークの枠組みで見ると、「日本軍による強制連行」は不自然な印象を受けます。女衒業者の業務範囲に日本軍が手を伸ばした事を意味するからです。女衒業者側からすれば自分達の権益が侵されたことになります。日本軍の為の慰安事業の仕組みを日本軍自ら壊しているように映るのです。

 戦地慰安婦業の中で、日本軍が期待された役割とは、戦地にある慰安所の警備・監督業務です。通常、売春業者が売春婦への監督業務を担います。ただし、戦地ではない日本国内では、売春業者の裏にヤクザ組織が控えていました。売春婦の抵抗や脱走を抑える為に、暴力的要素を持った組織を売春業者は必要としたからです。しかし戦地にヤクザ組織は存在しません。戦地慰安婦業者にとって、戦地で暴力的要素を持って頼りになる組織は日本軍だけです。慰安婦業の上流部分である人材獲得業務より、下流部分である監督業務において日本軍の関与が強くあったと言えます。監督という業務の下(もしくは監督業務を逸脱して)、日本軍兵士によって凄まじい暴力的行為が慰安婦に振るわれたことは想像に難くありません。戦地慰安婦業自体が人権を蹂躙する要素を内包しています。

 朝日新聞を批判する右翼・保守系メディアにより、慰安婦問題に関して「日本軍は植民地の女性を慰安婦目的で強制連行していない」という事を史実にする動きが強まっています。しかし「強制連行が全くなかった」とは言い切れません。先程「日本軍による強制連行は自らの仕組みを壊す行為」と述べましたが、当時の日本軍の中に、あえてその仕組みから逸脱して利を得ようとした悪徳集団もいたはずです。逸脱する動機もあります。強制連行という荒っぽい方法をとれば、女衒に払う金が浮きます。この可能性が残る以上、「日本軍は植民地の女性を慰安婦目的で強制連行していない」という事を史実にする動きは、日本内外で支持されません。

右翼・保守系メディアによる朝日新聞叩きに拍車が掛かっています。週刊文春と週刊新潮は毎週、多数の頁を朝日新聞糾弾記事に割いています。読売新聞は今回の誤報を材料に自誌への乗り替えキャンペーンをしています。巨大メディア・朝日新聞が非難される事は健全な側面もあります。けれども「廃刊しろ」といった非現実な主張や、利益誘導の道具にするのは、マスコミ全体にとって建設的ではありません。朝日新聞という巨大仮想敵がいてこそ、右翼・保守系メディアが成り立っている側面があります。従軍慰安婦に関する事で自誌の購読数拡大を画策するのは、人々に悪い印象しか与えません。朝日新聞は委縮せずに、世間を驚かすスクープや読み応えのある企画記事を提供することで、失地回復するしかありません。
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今年は阪神よりオリックスを応援したいよ

 髪の毛が伸びてきましたので、散髪に行きたいです。皆さんは、どの頻度で理髪店などに行かれていますかね?私は東京に来てから、約1000円の散髪の所に行っているので、昔よりは高頻度で行くようになりました。1ヵ月半に1回ぐらいです。短髪なのですが、髪の毛のボリュームが多いので、時間が経つと頭の形が不恰好になってしまいます。そしてうっとうしくなります。明らかに髪の毛が耳に掛かった段階で切るようにしております。

 プロ野球の方は、セリーグの巨人優勝はまあ大方の予想通りとして。パリーグが面白くなってきました。ソフトバンクに明らかに戦力が落ちるオリックスの奮闘ぶり、すごいです。関西出身なので、頑張って欲しいです。でもオリックスは守備では先発陣の層が若干薄いだけで、先発にエース級揃っていたり、抑えの層が厚かったりと充実していますからね。さすがに打撃の方は、物足りない戦力ですが。手堅く、やっているんでしょうね。是非とも頑張って欲しいものです。森脇監督もしぶい感じで、好きです。パリーグの行方に目が離せません。

やはり病院に行った方が安心する

 今日は休みです。唇の端が切れたので午前中皮膚科に行ってきました。診察で約1000円で、お薬で約600円と高いですね。でも薬局で、効くかどうか分からない塗り薬を自分で買うよりは、確実で安心できます。薬局の薬も高いですしね。家に帰り、以前に書いたブログ記事の書き直しをしたりして、今に至っています。「以前に書いたブログ記事の書き直し」の作業は面倒臭いですね。あまりこだわり過ぎても、良くないですので、ほどほどにしますが。まあ、余裕のある時は文章の練習ということで。

 さて今から掃除機をかけて部屋の掃除をして、午後は外に出ます。それにしても今日は暑いです。今週も、あと少し。頑張っていきましょう。

手形とは何か

 電子決済の登場によって、手形の存在感が薄まっています。「手形」という言葉を聞く機会も減り、「あの約束は、空手形だったのか」(約束が果たされなかった)という文句などを聞く程度です。長年の歴史がある手形は現在も使われていますが、今後電子決済の技術が一層高まれば、消えていくでしょう。ゴミを掃くのに用いるホウキは、現在掃除機に役を取って代わられています。掃除機の方が、電気の力で、短時間に沢山のゴミを集められるからです。けれども、ホウキと掃除機の機能は共に「ゴミを集めること」です。手形と電子決済も、便利さは異なりますが、機能は同じ「企業間の決済」です。手形自体は今後消えゆく運命かもしれませんが、手形が持っていた「企業間の決済」という機能は消えません。昔のものは不便ですが、その代り仕組みは単純です。分かりやすい仕組みの理解が、何かを学ぶ上で重要です。「企業間の決済」という機能を学ぶのに、手形は格好の題材と言えます。
*今回は記事を作成する際に、『裏経済パクリの手口99』(日名子暁著、かんき出版)の情報を参照させて頂きました。

 一般的に「手形」と表現されていますが、多くの場合、約束手形を指しています。言葉通り「A社はB社に対して、100万円を、20XX年5月5日に支払います」という約束を記した書類のことです。制度として保証されているので、公的な書類です。A社がマンションを建設する会社、B社が鉄筋を作る会社だとします。A社はマンションを作る際、鉄筋が必要なので、B社から鉄筋を購入します。B社からA社に対して鉄筋という商品が流れる一方で、反対にA社からB社に対して購入代金が流れます。一般的な商取引の流れです。しかしお金を支払う側のA社が、鉄筋購入代100万円を、すぐに支払えない場合があります。そこで支払う日を延ばしてもらいます。数か月後なら、自社の受注金額が口座に入っているので、 A社は鉄筋購入代100万円をB社に支払うことができます。その事情をB社が理解した上でなされる企業決済が、「A社はB社に対して、100万円を、20XX年5月5日に支払います」という内容の約束手形によるものです。

 手形を出す側(A社)は「振出人」と表現され、手形をもらう側(B社)は「受取人」と表現されます。手形を出す(振り出す)側は「後日お金を支払う義務」を持ち、手形を受け取る側は「後日お金をもらう権利」を持ちます。ところが手形の受取人であるB社は、手形に記載されている期日までに、待てない場合もあります。急遽お金が要ることも発生するでしょう。その際、B社は手元にある手形を金融機関に持っていき、現金と交換してもらえます。つまり、手形の受取人であるB社は「後日お金をもらう権利」を金融機関に売るのです。その代価が現金です。その際、手形に記載されている金額ではなく、記載金額から「割り引かれた」金額が現金としてB社に渡されます。例えば、記載金額100万円の手形の場合、金融機関が2万円を割り引くと、B社は98万円の現金を得ます。B社としては2万円の損ですが、期日より前に、一定の現金を手にすることができます。スピードが大事な商売にとっては、早い時期の投資が物を言うことがあります。換金化は、「額」よりも「時」が重視される場合があります。一方、手形を買う金融機関にとっては、「後日お金をもらう権利」を手にでき、割り引いた金額を「手数料」として得ることができます。金融機関は期日になれば、その手形を振り出したA社から、記載金額100万円を受け取ることができます(この取引は、実際は複雑なのですが。簡略化しました)。

 また手形は、金融機関を介さない形で、民間業者間における支払いの役割を果たします。例えばY社はX社から「X社の手形」を受け取りました。Y社は「X社の手形」を、期日まで待ち現金化する、金融機関に行き割り引いてもらい現金化する以外に、支払の手段としても使えます。Y社は仕入先のZ社に対して、仕入れ代金を現金ではなく、「X社の手形」で支払うことができます。もちろんZ社は、受け取った「X社の手形」を現金化することができます。所有者が移転しても価値が一定に機能するのが手形の魅力の1つです。現金に似ています。譲渡の際、手形を渡す側は「裏書」という行為をします。文字通り、渡す手形の裏面にサインをすることです。よくマスコミで聞く「手形を裏書する」というのは、「手形を渡す」ということです。

 どんな会社でも手形を振り出せる訳ではありません。手形を振り出したい会社は、金融機関に当座預金口座を開設しなければなりません。普通預金や定期預金とは異なり、当座預金とは企業間決済の為に使用されます。金融機関は信用を落としたくない為、当座預金口座を開設させる際には、その会社に対して慎重な審査を行います。その審査を通る必要があります。金融機関にとって懸念すべきことが、「不渡り」という事態です。手形の利点の1つは「支払いの延長化」でした。これは「手形を振り出した会社の当座預金口座に、期日までに支払い金額があること」が前提となっている仕組みです。そこから、最終的に手形を持っている人に対して、引き落としされます。しかし手形を振り出した会社の業績が悪く、期日までに当座預金口座に支払金額を置けなかったら、最終的に手形を持っている人は期待していたお金をもらえません。例えば、「100万円の手形」を振り出したのに、当座預金口座には「30万円の残高」しかなかった場合です。つまり手形を振り出した会社は、約束手形の内容を破った事になります。この事態を手形の「不渡り」と言います。この未払いを2回行うと、銀行からは相当厳しい処分が、手形を振り出した会社に下されます。会社の信用を多大に損なう行為が、この「不渡り」です。金融機関にとっても「不渡り」は迷惑な話なので、審査を慎重にします。

経済的に満たされたら表現者は終わりだ

 書籍の内容量について「無駄に多くないか…」と辟易されたことはないでしょうか。あることを描写して伝えるのに、一定の情報量が書籍に必要になりますが、膨大な情報量が書籍に詰め込まれています。ノンフィクション物なら、出来事を小説風の文体で描いているものです。背景には、書籍という商品の性格上、「書籍の体裁」の為に情報量を多く詰めている事があります。個人的には、小説風に描かれたノンフィクション物を好みません。読書をするのには力がいります。時間もとられます。短時間に読めるものを私は好みます。でも、情報量も一定欲しいです。「短時間で読める」「豊富な情報量」の2つの要素を備えている活字媒体が雑誌の記事です。

 となぜ、自分は雑誌ばかり読んでいるのだろうと、思って考えたことです。雑誌の記事には「情報の圧縮」技術が発揮されています。スペースが限られている中、情報量を沢山詰め込まないといけないからです。この制約が、書き手の技術を向上させ、さらには記事を面白くさせます。この事を念頭に置いて記事を書いていかないといけないと思っています。最近の私のキーワードは「情報の圧縮」なのです。


 さて話題は変わり、テレビ東京のアナウンサー大江麻理子さんが証券会社の偉い人と結婚した事についてです。相手はすごいお金持ちとのこと。アナウンサーも表現者です。金に対する切望が表現者を駆動させている側面があります。経済的に満たされた表現者は、「モチベーションの低下」という脆弱性を抱えてしまいます。もちろん経済的に満たされながらも、克服して常に素晴らしい表現者であり続けている人も沢山います。でも、多くの人は弱いです。今回の結婚が表現者としての彼女の分岐点であると思います。大江麻理子さんについてはファンではないですし、個人的な想いは全くないのですが、ふと以上の事を思った次第です。

 はじめに書いたように、まだまだ自分はやる事があります。そしてそのモチベーションを維持する上で、言い訳になっているかもしれないですが、今の生活レベルを大事にしてあげようと思います。「350mlのサッポロ黒ラベルを有難く思わなくなったら、表現者としては終わりだ」という気概でいきます。負けないぞ。

工藤会の歴史

 福岡県警は9月11日に北九州市を拠点にするヤクザ組織・工藤会の野村悟総裁を逮捕しました。逮捕理由は、1998年北九州市で起きた漁協組合長射殺事件に関わったとする殺人容疑などです。北九州市の港湾工事で多大な権限を握っているのが漁協組合長です。射殺事件の実行犯は工藤会の会員2人で無期懲役などの実刑判決を受けています。港湾工事に介入したい工藤会側と漁協組合長側との対立が射殺事件の背景にありました。この事件の余波は現在まで続いており、射殺された漁協組合長の親族が近年死傷被害に遭っています。しかし犯人は捕まっていません。文脈上、工藤会の犯行が疑われています。工藤会の実質トップである総裁の逮捕は、工藤会側に心理的打撃を与えたい福岡県警の思惑を如実に示しています。裏返せば、親族への死傷事件の糸口を福岡県警が見つけられていない事を意味しています。
*今回は記事を作成するにあたり、『現代ヤクザ大事典』(実話時代編集部編、洋泉社)、『実話時代』2013年11月号、2014年5月号、『増補・新装版 極道一番搾り 親分、こらえてつかあさい』(溝下秀男著、宝島SUGOI文庫)、北九州市のサイトの情報を参照させて頂きました。

 工藤会はマスコミや警察当局から「武闘派」と形容されています。警察当局の厳しい取締りを可能にした暴力団対策法が施行された1992年以降、全国的にヤクザ組織間の抗争は減り、ヤクザ組織による暴力事件も目立たなくなりました。その状況下に逆らうように、工藤会が本拠地とする北九州市では近年、飲食店への襲撃事件が頻発しています。警察当局の指導を受けた飲食店が用心棒代であるミカジメ料を拒否したことによる報復要素が濃い事件です。工藤会側の犯行という断定的証拠・証言はないですが、工藤会が北九州市の裏社会を独占しています。他のヤクザ組織や不良団体の犯行であれば、工藤会の縄張りの侵入を意味し、逆に工藤会にとって許し難き事態です。消去法で工藤会に焦点がいきます。

 工藤会は福岡県を含む3県で活動しており、構成員約560名を抱えています(『実話時代』2014年5月号)。本拠地とする北九州市は、2014年現在約96万人の人口を持つ政令指定都市です。工業都市としても有名です。表社会のサイズに、裏社会のサイズも比例していきます。大都市・北九州市における裏社会の支配が、工藤会の富の源泉になっています。「武闘派」の側面については、工藤会の歴史が物語っています。1960年代前半、山口組が九州内のヤクザ組織を傘下に収める活動が鮮明になっていきます。当然、九州の玄関口である北九州市にも山口組の手が伸びました。1963年山口組は、北九州市の梶原国弘と安藤春男を傘下に収め、山口組系梶原組と山口組系安藤組を設立させます。対抗したのが工藤玄治を組長とする工藤組です。現在の工藤会の先祖にあたる組織です。山口組系2団体に山口組本体が加勢してきます。山口組対工藤組の構図で抗争に発展しました。福岡県警の介入があり、1963年内に抗争は引き分けの形で終了します。地方のヤクザ組織にとって「広域ヤクザ組織・山口組と引き分けた」という事実は、自身の強さを誇示する上で、この上ありません。

 工藤会にはまだ波乱がありました。山口組との抗争の結果、工藤組のナンバー2であった草野高明が服役しました。草野高明はその際、工藤組へ脱退を一方的に伝えました。1977年に出所した草野高明は草野一家というヤクザ組織を設立します。1979年には山口組の有力2次団体で福岡に拠点を持つ伊豆組組長と草野高明は五分の兄弟盃を交わしました。つまり、山口組2次団体と草野一家の同盟関係に至ったことを内外に示したのです。また草野高明が出所した際、山口組側から出迎えや祝いの席を設けられていました。新興ヤクザ組織の草野一家としては山口組の力を借りたいという思惑と、山口組側は北九州市再度の侵攻への足掛かりとして草野一家との関係作成の思惑が重なった結果でした。この事態を好まないのが、山口組との抗争以後「工藤組」より改名した工藤会です。旧組織のトップとナンバー2が対立して、一方に山口組が付いているという構図です。草野一家と工藤会は抗争を開始し、1981年には両団体のナンバー2が銃撃戦の末、共に命を落とす事態まで至りました。

 抗争は引き分けの形で終結します。両団体のトップである工藤玄治と草野高明が仲直りし、1987年に両団体は合併、工藤連合草野一家という統一団体が結成されました。両団体が存続している限り、抗争の可能性は残ります。しかし1つの団体になれば、抗争という選択肢は消えます。山口組からすれば、両団体の合併で北九州市に関与する機会を失ってしまいました。西日本地方の多くのヤクザ組織が山口組傘下になった中で、工藤会は傘下に収まらなかったヤクザ組織の1つです。山口組と戦ってきた実績が「工藤会の自負」として機能しています。工藤連合草野一家は、組織名に連合が入っているように、当初は「連合体」の色合いが濃い組織だったと推測できます。工藤連合草野一家のトップは、工藤玄治と草野高明の2人が就きました。そして1990年に草野一家出身の溝下秀男が「2代目会長」という名前で工藤連合草野一家のトップを引き継ぎます。トップが1人になったことで、連合体の要素が薄くなっていきます。

 1999年工藤連合草野一家から、現在の工藤会に組織名称が変わりました。工藤組→工藤会(1963年以降)+草野一家(1977年)→工藤連合草野一家(1987年)→工藤会(1999年)という流れで、組織名称は変更しています。同時に、工藤会の歴代トップを新しく位置づけました。工藤会初代会長に工藤玄治、2代目会長に草野高明、3代目会長に溝下秀男という形にしたのです。溝下秀男は1999年に「工藤連合草野一家2代目会長」から「工藤会3代目会長」という役職名に変わったのです。その後、2000年に野村悟が4代目会長に就きました。2011年には田上文雄が5代目会長に就任して、野村悟は総裁職に就任しました。野村悟と田上文雄は工藤会田中組の出身者です。現在、名目的には会長の田上文雄が工藤会のトップですが、実質的なトップは総裁の野村悟であると警察当局は見ています。

朝日新聞、頑張れ。負けてはいけない。

 今週もそれなりに頑張った一週間でありました。食事も野菜を摂るようにして、あと最近はウインナーばかり食べるのをやめて、魚を食べるようにしています。缶詰ですが。でも結構美味しいですよ、魚の缶詰は。魚の旨みが凝縮している感じで、骨も柔らかくなっていて、そのまま気にせず食べられますし、酒のつまみにも重宝するんでしょうね。20代前半から手の指に荒れてしまって、冬の乾燥が強い時期になると、ほんと指がボロボロになっていました。しかしここ最近は、野菜を意識的に食べるようになってから、手の指が荒れなくなって、そのせいか塗り薬も減っていません。指を見ていても、すっかり治っています。思えば、20代前半の頃から野菜を食べなくなっていった気がしますね。まあ、どれだけ野菜の摂取量と皮膚の状態に因果関係があるのか、分からないのですが。

 あと週刊誌ネタやマスコミネタだと、今朝日新聞が叩かれていますね。でも一応反省の姿勢を朝日新聞さんが示している訳だから、あまり叩き過ぎるのは良くないですよ。特に朝日新聞は「反政府的な立場」を貫いているジャーナリスト精神を持ったマスコミです。そんな貴重な存在が弱くなるのは、日本全体にとってマイナスですよ。政府に迎合するようなマスコミばかり増えたら、変な国になってしまいます。私は堂々と朝日新聞を応援しますよ。負けるな、朝日新聞。慰安婦の日本軍による強制連行についても、「朝日新聞が報じた一件」については間違いだった事が判明にしただけで。「日本軍による強制連行」自体が全否定された訳ではありません。

 日本は朝鮮半島を植民地にして、中国大陸では戦争の延長線上とはいえ悪い行いをしたことは事実なんですよ。やっぱりそこは、素直に反省しないといけないです。ヘイトスピーチの連中はもちろん論外として、最近一般の人達にも、何とかいうか韓国や中国に対して良く思わない人がいて、心配になります。

 朝日新聞同様に、自分も負けないで頑張るぞ。そしていわれのない差別を受けている人達の側になって、差別をなくす社会にしていくのだ。

海という流通経路

 外国に日本製品を輸出する、または石油等のエネルギーを中東から輸入する際、主にどの経路が利用されているのでしょうか。『航空物流レポート2011』(平成24年10月、国土交通省航空局)によれば、2011年「海上輸送」で2億6950万5千トンの物を輸出して、全体の99.5%を占めています。もう1つの輸送手段である「航空輸送」では130万3千トンの物を輸出して、全体の0.5%の割合です。一方の輸入では、「海上輸送」で9億5122万3千トンの物を輸入して、全体の99.9%を占めています。「航空輸送」では156万6千トンの物を輸入して、全体の0.2%の割合です(出典:「港湾統計」及び「日本出入航空貨物路線別取扱実績」国土交通省)。ただし金額ベースでみると、2011年の輸出・輸入ともに、「航空輸送」の割合が20%を超えてきます(出典:「貿易統計」財務省)。船に比べて、一度に沢山の物を輸送できない飛行機の特性上、「小規模」「高価格」要素を満たす商品を中心に輸送します。「航空輸送」の実績は、重量ベースでは「小さく」、金額ベースでは「大きく」現れる傾向にあります。

 飛行機の発達した現在でも、未だに船を使った輸送手段が「主役」です。船は空や陸を経路とせず、海を経路とします。現在の地球規模で貿易する仕組みの中では、日本だけでなく他の先進国も同様に、海を経路として船を輸送手段にしています。
*今回は記事を作成するにあたり、『航空物流レポート2011』(平成24年10月、国土交通省航空局)、『海洋国家としてのアメリカ パクス・アメリカーナへの道』(田所昌幸+阿川尚之編、千倉書房)の情報を参照させて頂きました。


 外国との貿易において海が「流通経路」としての役割を果たしています。「流通経路」は安全に機能している必要があります。日本の石油元売会社が石油を中東諸国から石油タンカーで輸送している際、航路の途中で海賊に襲われ石油タンカーを奪われたら、日本にとって大きな痛手です。海賊の出没が多発すれば、「流通経路」としての海は機能不全に陥ってしまします。海を利用しての貿易を嫌がります。それを防ぐ為に、海軍が存在しています。1国の海岸を警備できる海軍の規模ではなく、広大な海域をカバーできる海軍の規模が「流通経路」の安全を担保します。

 現在アメリカ海軍がその役割を担っています。全世界にアメリカ海軍は存在して、世界の海を監視しています。第二次世界大戦以降、アメリカ海軍に比肩する海軍を持つ国は現れていません。アメリカ海軍だけが巨大な「流通経路」である世界中の海を管理下にすることができます。アメリカに嫌われた国は、海を隔てた他国と貿易を企んでも、輸送航路をアメリカ海軍に邪魔される可能性があります。アメリカに嫌われた国は、満足な貿易をすることができません。逆にアメリカに好かれた国は、アメリカ海軍庇護の下、他国と容易に貿易ができます。第二次大戦以後、一転してアメリカグループ側に属した日本もその恩恵を受けています。実際、中東から石油を日本に無事に輸入できるのは、アメリカ海軍第七艦隊がその経路に存在しているからです。これが超大国アメリカを成り立たせている力の源泉の1つです。


 海で優勢を得るには、「線」を押さえることが鍵となります。アメリカ海軍の以前に、世界の海を支配していたのがイギリス海軍です。イギリス海軍の戦闘力が優れていても、ただイギリス周辺の港だけに位置していては、世界の海を支配きません。東南アジアのある海域で海賊が多発して、商船が強力なイギリス海軍を頼りたくても、イギリス海軍が東南アジアにいなくては、頼ることはできません。イギリス海軍を世界中に分散させることができて初めて、世界の商船から頼りにされます。実際イギリスは19世紀から本格的に世界の地域を実効支配していきます。エジプトのスエズ運河、インド、シンガポール、中国の香港など。イギリスから中国までの海の経路における、要所を全て確保しています。「線」をイギリス海軍は押さえました。これでアジア一帯の商船はイギリス海軍を頼る事が可能です。19世紀~20世紀中頃まで、イギリス海軍の存在を前提に、当時の世界貿易は活発化していたのです。そして海の「管理人」になったイギリスにとって望ましい世界秩序が作られていきました。

 第二次世界大戦以後の20世紀中頃から、海の「管理人」はアメリカ海軍に変わります。イギリス植民地政策の「鬼子」として誕生したアメリカですが、2度の世界大戦で協力したことで、イギリスと現在までに続く強固な信頼関係を築きます。一方、第二次世界大戦以後のイギリスは国内の経済的疲弊や1947年インド独立をはじめとした植民地の独立が続き、1971年でスエズ以東から撤退することになりました。イギリス海軍は「線」を維持できなくなったのです。同時に、海という「流通経路」の「管理人」からイギリス海軍が降りる事を意味しました。引き継いだのがアメリカ海軍です。イギリス海軍という先例があったことで、アメリカ海軍は「管理人の継承」を円滑にできました。イギリス海軍を見習い、アメリカ海軍も世界中に基地を持ち、「線」を押さえることを怠りません。

 中国海軍の膨張が叫ばれて久しいです。ただ海軍にとって重要な事は、海上戦闘力ではなく、「線」の確保です。中国が他国に中国海軍基地を作り、「線」を確保した時こそ、中国海軍の影響力は増したと言えます。中国海軍に対する報道で注目すべきは、予算増加や兵器増強等の話ではなく、中国海軍の他国への介入等の話です。

『1Q84』を読みました

 今週は沢山語れることがあります。書く段階になると、思い出す事ができない日々が続いていたので、今週はしっかりと書けることを頭に叩き込んでいました。昨日、8月の帰省時から読み始めていた村上春樹さんの長編『1Q84』を読み終えることができました。やはり、読み終えるまでに時間が掛かりました。出版されてから久しい作品なので、文庫本の方で読みました。ハードカバー3冊で、文庫本だと6冊という文字量の多さに、読み始めた時は「辿りつけるのか…」と不安な気持ちを抱きました。しかしさすがは村上春樹さんで、読む事に苦労せずに最後まで辿りつくことができました。作家としての力量の凄さを感じました。

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 時折挿入される難解な比喩表現や性行為の単純な描き方など、個人的に腑に落ちない部分はありましたが、物語の構成力や文章の簡潔さ等は脱帽の一言です。主に平日と休日の夜、寝る前に読んでいたのですが、気が付けば深夜になっていて、時間を忘れさせてくれました。『1Q84』を読む楽しみがなくなったので、若干寂しいです。ただ、小説の世界に長い時間入り浸っているのは、自分としては生産的ではありません。1日の限られた時間に、やるべき事を割り振って、物事を前に進ませる必要があります。これまで同様に、小説は夏休みや年末年始の休みだけに読むことにしましょう。

 もっと文章上手くならないといけないし、面白い構成や発想を思いつかないといけないと思いました。歳も歳なので、仕事や今後のライフワークによって、今のようなペースでブログを書けなくなる時が来ます。それでも継続は力なりなので文章を書き続けていくことが大事なのだと思っております。頑張りますかね。

極左集団

 1960年~1970年代に、学生運動の過程で、反社会的な犯罪に手を染めたグループが複数ありました。そのグループは「極左集団」と呼ばれてきました。「極左集団」としてよく聞く名前に「中核派」「革マル派」があります。過去の事件に遡れば、1970年に日航機よど号ハイジャック事件や、1972年イスラエルのリッダ空港の銃乱射事件を起こした赤軍派もよく聞く名前です。中核派、革マル派、赤軍派などの「固有名詞」だけが世間で持ち上がるものの、その集団が生まれてきた背景や、組織間の関係については語られることがありません。
*今回は記事を作成するにあたり、『新左翼運動40年の光と影』(渡辺一衛・塩川喜信・大薮龍介編、新泉社)、『革命の季節 パレスチナの戦場から』(重信房子著、幻冬舎)を参考にさせて頂きました。


 中核派、革マル派、赤軍派は「極左集団」もしくは「極左暴力集団」という説明で一般的に済まされています。「思想的に過激で、暴力的な人達」という印象を持ってしまいます。しかし彼らが最も世間の注目を浴びていた1960年代~1970年代、「新左翼」の集団と呼ばれていました。現在、形容される「極左集団」は、過去の犯罪行為と世間のイメージ悪化から来る、多少侮辱的な意味合いがある呼ばれ方です。「新左翼」という言葉のほうが、中核派や革マル派などを説明するのに、向いています。

 元々の日本の左翼組織といえば、今も国政政党で野党に位置する日本共産党です。1922年に発足した日本共産党は、昭和の戦間期当局から弾圧されます。戦後は、表向きの政党として活動を再開します。日本共産党は、日本独自に完結して生まれた政党ではありません。日本共産党が目指す政策には、社会主義国的要素が垣間見られます。現在は、ソフトな路線に変更して、「強い野党」としての存在に意義を見出しています。しかし発足当初は「日本を社会主義国に変える事」を目的に活動していたのが、日本共産党でした。1917年のロシア革命で史上初の社会主義国・ソ連を作ったロシア共産党(その名前になるのは1918年だが)の、後輩分にあたるのが、昔の日本共産党だったのです。あらゆる面でロシア共産党から影響を受けていました。
 
 ソ連本部の共産党の言うことが「正しい」というのが、当時の日本共産党の立場でした。第二次世界大戦、そして戦後ソ連を率いたスターリンの思想が、日本共産党の「正しい」ことだったのです。戦後しばらくの間まで、日本共産党は「親ソ連=つまり親スターリン」という立場です。しかし、1953年にスターリンが死去します。その後ソ連の指導者になったフルシチョフが、1956年にスターリン批判(スターリンのやりすぎた政治独裁を批判)をして、日本共産党内外でも「親スターリン」思想が揺らぎ、「反スターリン」の思想を掲げる人達が出てきたのです。「反スターリン」思想の代表として、掲げられたのがトロツキーの思想です。トロツキーは、1917年のロシア革命を主導したロシア共産党のリーダーの1人でしたが、スターリンとの政争に敗れてソ連を去ってしまった人物です。政争に敗れたものの、先進的な思想の持主だったこともあり、トロツキーの思想が日本共産党内外にいる当時の若者に、「新たな左翼思想」という形で受容されました。1950年代のことです。


 当時日本共産党指導部は、まだ「親スターリン」という立場から脱げ出せませんでした。トロツキーの思想に共感する左翼的な若者は、日本共産党という既存左翼集団に代わる「新たな左翼集団」を作ることにしました。1957年に日本トロツキスト連盟という新しい左翼集団ができます。その後、共産主義者同盟(ブント)や革命的共産主義者同盟(革共同)といったトロツキーの思想を母体とする集団ができます。このブントと革共同が2大新左翼集団です。当時トロツキー以外の思想を母体とする、新左翼集団もいました。グラムシという思想家の考えを母体にした「構造改革派」や、毛沢東の思想を母体にした「中国派」など、他にも沢山ありました。

 新左翼集団が、1690年代後半に起きた各大学での諸問題(ex学費値上げ)に絡み一般の大学生達を巻き込み、学生運動を組織していきました。一方、既存左翼集団の日本共産党と近い関係にある日本民主青年同盟(民青)も、この当時新左翼集団に対抗するように、学生運動を指揮していました。新旧多様な左翼集団が学生運動を指揮していました。


 学生運動が盛り上がるにつれて、新左翼集団の方に、2つの特徴が顕在化してきました。1つは、組織の分派です。例えば、ブントは、「革命の通達派」「プロレタリア通信派」等に分かれていきました。そのブントから分派した1つが、その後世間の注目を浴びる事件を起こす、赤軍派です。また新左翼集団のもう1つの大きな組織・革共同も、まず「全国委員会派」と「第四インター派」に分かれました。そしてその「全国委員会派」がさらに割れて生まれたのが、中核派と革マル派です。中核派、革マル派、赤軍派は、トロツキーの思想を母体にした「新左翼集団」からそれぞれ分派した集団だったのです。

 もう1つの特徴が、「暴力行為を正当化」していたことです。分派した後、自分たちの組織の優位性を信じる余り、分派の相手組織を暴力行為によって打倒する手段を選択しました。内ゲバです。本来の敵は資本主義国をとる日本政府であったのに、「異なる新左翼集団」を敵にし始めたのです。

 一方既存左翼集団である日本共産党は、戦後しばらく経ってのち、平和的な手段つまり議会の議席獲得等を通じて、活動します。ソ連や中国のように、暴力的な手段で、政権を奪取することを日本共産党は選択しませんでした。既存左翼集団側が平和的手段を選んだことへの反発で、新左翼集団は「俺たちは、暴力的手段を捨てないぞ。武力革命だ」という考えを先鋭化していきます。最終的に、内ゲバ、そして反社会的犯罪に至る結果になったのです。次第に、「新左翼集団」から「極左集団」と世間から呼び換えられたのです。
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