静岡県熱海で生まれた稲川会

 稲川会の圧倒的な占有率を占める都道府県として知られているのが、神奈川県です。2011年時点、神奈川県には約3610人のヤクザ組織人員がいて、その75%が稲川会の人員でした(*1)。太平洋戦争後から、神奈川県はヤクザ組織にとっては活動しやすい地域でした。日本有数の国際貿易港・横浜港を抱えており、密輸ビジネスに適した場所でした(*2)。横浜の中華街は、1945年から1970年代まで、香港やシンガポールから麻薬が密輸される拠点地でした(*3)。また米軍が戦後、横浜を接取していた為、米軍兵士を対象とする売春ビジネスも盛んでした(*3)。現在も神奈川県には、横須賀海軍施設(横須賀市)、陸軍のキャンプ座間(相模原市、座間市)、厚木海軍飛行場(綾瀬市、大和市、海老名市)など計12の米軍施設があります(*4)。現在は少なくなっていると言われますが、ひと昔、日本の裏社会に流通した拳銃は、在日米軍の横流しによるものが多かったです(*5)。米軍基地が沢山存在する神奈川県で活動するヤクザ組織にとって、拳銃確保は他府県に比べると容易であったことが考えられます。

 稲川会が発足した場所は、神奈川県ではなく、神奈川県の県境に位置する静岡県の熱海市です。稲川会の創立者である稲川聖城は、1940年代網島一家という博徒組織で、代貸を務めていました(*6)。当時、熱海に縄張りを持っていたのが山崎屋一家でした(*6)。山崎屋一家は太平洋戦争後、朝鮮人系の愚連隊と衝突していました(*6)。山崎屋一家への応援部隊として、網島一家から熱海に派遣されたのが稲川聖城です(*6)。応援部隊としての功績もあったのか、1949年稲川聖城は山崎屋一家トップの五代目総長に就任します(*7)。外部出身者が他組織を引き継ぐというのは、関東のヤクザ社会では珍しいことではありませんでした(*8)。跡目候補に適材な人物がいない場合、他の組織からトップとなる人物を連れてきました(*8)。裏返せば、それを名目に、力のある組織による「乗っ取り」も多かったと考えられます。

 稲川聖城にとって山崎屋一家を引き継いだことは、ヤクザ社会で大きく飛躍する機会となりました。熱海は日本でも有数の温泉地です。首都圏から近いこともあり、観光客は豊富です。1964年ごろから、警察当局は賭場関係者を非現行でも逮捕していく方針に変更しました(*9)。現行犯でなくても証言によって賭場関係者が逮捕されるようになったことで、1964年以降ヤクザ組織の賭場ビジネスは下降線を描いていきます(*9)。裏返せば、1964年以前までは、ヤクザ組織の賭場ビジネスは盛んでした。温泉街でも常設の賭場がありました(*10)。熱海でも常設の賭場があり繁盛していたことは想像に難くありません。熱海から近い箱根塔ノ沢の温泉では、1964年3月19日、「総長賭博」という大きな賭場が開かれました(*11)。引退する住吉一家三代目・阿部重作総長の花会として、稲川会と住吉一家共同で開いたものとされています。一夜で約6億円が動くほどの莫大な収益を見込める賭場でした(*11)。

 1949年山崎屋一家を引き継いだ稲川聖城ですが、同年に稲川興業という組織を立ち上げます(*12)。稲川興業の立ち上げが、稲川会の始まりとされています(*12)。ちなみに1949年に立ち上げた組織を、「稲川組」とする説(*7)や、「稲川一家」とする説(*13)があります。山崎屋一家はその後、稲川会内の組織として、熱海を拠点に存続していきます(*14)。稲川聖城が稲川会トップになったことで、空席となった山崎屋一家総長には長谷川春治が六代目総長として就任しました(*14)。1974年、長谷川春治が稲川会2次団体・碑文谷一家総長に横滑りする形で就任すると、山崎屋一家七代目総長を稲川聖城実子である稲川裕紘が就任しました(*14)。1980年、稲川裕紘が山崎屋一家を吸収する形で稲川一家を立ち上げた結果、山崎屋一家は消滅しました(*15)。

 熱海には稲川会本家もありました(*16)。稲川会の二代目、三代目継承式は熱海の稲川会本家で実施されました (*17) (*16)。現在稲川会の盃儀式や義理事は、2007年5月に完成した稲川会館(横浜市)で行われています(*18)。

<引用・参考文献>
*1 『実話時代』2017年2月号「全国指定二十二団体最新版勢力地図」(人数はすべて警察資料による), p19
*2 『ヤクザ500人とメシを食いました!』(鈴木智彦、2013年、宝島SUGOI文庫), p255
*3 『週刊実話』2016年2月4日号「風俗新潮流 第36回 横浜・風俗街」(八木澤高明著), p172
*4 神奈川県サイト「県内米軍基地一覧表」
*5 『裏経済パクリの手口99』(日名子暁、1995年、かんき出版), p128
*6 『山口組永続進化論』(猪野健治、2008年、だいわ文庫), p210-211
*7 『日本のヤクザ100人 闇の支配者たちの実像』(別冊宝島編集部編、2016年、宝島社), p16-17
*8 『実話時代』2014年8月号, p40
*9 『ヤクザ大辞典』(山平重樹監修、週刊大衆編集部編、2002年、双葉文庫), p108-109
*10 『潜入ルポ ヤクザの修羅場』(鈴木智彦、2011年、文春新書), p195
*11 『ヤクザ大辞典』(山平重樹監修、週刊大衆編集部編、2002年、双葉文庫), p250-251
*12 『実話時代』2014年8月号, p23
*13 『現代ヤクザ大事典』(実話時代編集部編、2007年、洋泉社), p159
*14 『実話時代』2015年3月号, p63
*15 『日本のヤクザ100人 闇の支配者たちの実像』(別冊宝島編集部編、2016年、宝島社), p226-227
*16 『実話時代』2016年8月号, p106
*17 『実話時代』2016年8月号, p49
*18 『実話時代』2015年8月号, p14
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構成員数の変遷

 都道府県の各公安委員会から「指定暴力団」と指定されたヤクザ組織の構成員数は、年々変遷しています。警察庁発表資料「暴力団情勢」の2004年時と2014年時の構成員数を比較しました。11年間に20のヤクザ組織の構成員数の増減率を確認してみます。

【住吉会】(2004年:約6,600人)→(2014年:約3,400人) 
[増減数]3,200人減 [増減率]48%減

【稲川会】(2004年:約5,000人) →(2014年:約2,900人)
[増減数]2,100人減 [増減率]42%減

【松葉会】(2004年:約1,400人) →(2014年:約820人)
[増減数]約580人減 [増減率]41%減

【極東会】(2004年:約1,500人) →(2014年:約800人)
[増減数]約700人減 [増減率]47%減

【双愛会】(2004年:約320人) →(2014年:約190人)
[増減数]約130人減 [増減率]41%減

【会津小鉄会】(2004年:約810人) →(2014年:約160人)
[増減数]約650人減 [増減率]80%減

【酒梅組】(2004年:約210人) →(2014年:約40 人)
[増減数]約170人減 [増減率]81%減

【東組】(2004年:約170人) →(2014年:約150人)
[増減数]約20人減 [増減率]12%減

【山口組】(2004年:約20,000人) →(2014年:約10,300人)
[増減数]約9,700人減 [増減率]49%減
*2004年、2014年時の山口組構成員数には、現在の神戸山口組の勢力も含まれます。2015年山口組から、神戸山口組の勢力が脱退しました(*1)

【親和会】(2004年:約70人) →(2014年:約50人)
[増減数]約20人減 [増減率]29%減

【浅野組】(2004年:約140人) →(2014年:約100人)
[増減数]約40人減 [増減率]29%減

【俠道会】(2004年:約190人) →(2014年:約120人)
[増減数]約70人減 [増減率]37%減

【共政会】(2004年:約300人) →(2014年:約190人)
[増減数]約110人減 [増減率]37%減

【合田一家】(2004年:約200人) →(2014年:約90人)
[増減数]約110人減 [増減率]55%減

【工藤會】(2004年:約620人) →(2014年:約520人)
[増減数]約100人減 [増減率]16%減

【福博会】(2004年:約330人) →(2014年:約180人)
[増減数]約150人減 [増減率]45%減

【太州会】(2004年:約140人) →(2014年:約140人)
[増減数]0 [増減率]0%

【道仁会】(2004年:約910人) →(2014年:約570人)
[増減数]約340人減 [増減率]37%減
*2004年時の道仁会構成員数には、現在の浪川会の勢力も含まれます。2006年道仁会から、浪川会勢力が脱退しました(*1)

【小桜一家】(2004年:約110人) →(2014年:約70人)
[増減数]約40人減 [増減率]約36%減

【旭琉会】(2004年:約590人) →(2014年:約470人)
[増減数]約120人減 [増減率]約20%減
*2004年時の旭琉会の構成員数は、当時の「旭琉会 約240人」と「沖縄旭琉会 約350人」の合計人数である約590人としました。2011年旭琉会と沖縄旭琉会は合併し、新団体・旭琉会が結成されました(*1)
(*2)(*3)

 2004年から2014年までの11年間、構成員数の増加を示した組織はありませんでした。現状維持の太州会を除いて、残り19団体で構成員数は減少しています。減少幅も大きく、80%台の減少幅を示した組織が2、50%台の減少幅を示した組織が1、40%台の減少幅を示した組織が7、30%台の減少幅を示した組織が4と、30%台以上の減少幅を示した組織は20団体中14団体ありました。「減少率が低い組織ベスト5」と「減少率が高い組織ベスト5」は以下の通りです。

[減少率が低い組織ベスト5]
1位:太州会 0%
2位:東組 12%減
3位:工藤會 16%減
4位:旭琉会 20%減
5位:浅野組、親和会 29%減

 1~5位の共通点として、1000人未満(構成員数)の組織規模で、主な活動地域を西日本としていることが挙げられます。1~4位の共通点として、山口組と親戚関係を持っていないことが挙げられます。一方、5位の2団体(浅野組、親和会)は山口組と親戚関係を持っています。1~4位の4団体の「構成員数の減少幅の低さ」と「山口組との非親戚関係」の間には何らかの関係があるかもしれません。太州会の構成員数の現状維持に関してですが、一貫して構成員数が同数であった訳ではありません。2004年以降、太州会の構成員数は増加していき、2008年と2009年には太州会の構成員数は約190人を示しました(*4) (*5)。しかしその後、太州会の構成員数は減少、2014年には約140人になったのです。太州会構成員数の2009年と2014年の増減率は36%減となります。

[減少率が高い組織ベスト5]
1位:酒梅組 81%減
2位:会津小鉄会 80%減
3位:合田一家 55%減
4位:山口組 49%減
5位:住吉会 48%減

 1~3位の共通点として、1000人未満(構成員数)の組織規模で、主な活動地域を西日本とし、山口組と親戚関係を持っていること(2004~2014年)が挙げられます。酒梅組と会津小鉄会の80%台の減少幅は突出しています。2団体とも、2015年8月末の山口組分裂後、山口組との親戚関係を解消、脱退した神戸山口組を支持しています(*1)。2団体の「大幅な構成員数減少」と「山口組との親戚関係解消」の間には何らかの関係があるかもしれません。

<引用・参考文献>
*1 『実話時代』2016年9月号
*2警察庁「平成16年の暴力団情勢」
*3警察庁「平成26年の暴力団情勢」
*4警察庁「平成20年の暴力団情勢」
*5警察庁「平成21年の暴力団情勢」

縄張りに関する浅野組の考え方

 ヤクザ組織において自組織の縄張り(支配地域)防衛は、死活的な課題です。1次団体のヤクザ組織・浅野組は、縄張りの防衛に関して、独自の考えを持っています。浅野組は、岡山県最西部に位置する笠岡市に本拠地を置いています(*1)。1955年頃、浅野眞一によって立ち上げられたヤクザ組織です(*1)。現在、組織トップとして浅野組を率いる中岡豊(五代目組長)が、組長代行時代の2014年『実話時代』(2014年11月号)のインダビューで、縄張りに関することを述べています。

 「うちのシマ内には何人たりとも絶対に入って来させないし、もちろんうちも他所のシマ内へは出て行きません」(『実話時代』2014年11月号, p17)と中岡豊は述べています。シマ(縄張り)の徹底的な防衛に加えて、「対外侵攻」という選択肢を捨てていることに浅野組の特徴があります。専守防衛の戦略です。他地域の縄張りを侵さなければ、因縁を持たれず、他のヤクザ組織と揉め事自体が減ります。結果、抗争に発展することなく、自組織の縄張りを平和的に維持していくことができます。

 また「隣接する組織とは身内同士のように親しくつきあっていますが、そういう仲であってもうちのシマ内に入る時には必ず本部に『こういう用件で入ります』という連絡を入れてもらっています。(略)うちの人間が隣接する組織のシマ内に入る場合にも必ずそこの本部に連絡を入れます」とも中岡豊は述べています(『実話時代』2014年11月号, p17-18)。つまり「他組織の縄張りに入る際、本部に連絡を入れる」というルールを浅野組は課して訳です。

 浅野組が一方的に相手組織だけに課すルールではなく、浅野組もそのルールの拘束下とすることにより、ルールに公平性を帯びさせています。浅野組はルールを遵守しているのに、他組織がルールを破ったことにより抗争となった場合、和解時に相手組織に非があるという展開に持っていけます。暴力が優先されるヤクザ社会においても、一定の秩序体系を維持してきた日本のヤクザ社会は「業界ルール」を軽んじることはできません。

 浅野組が専守防衛をとる理由として、構成員数で約90人という小規模組織ということがあります(*2)。広域団体の山口組や神戸山口組の下部組織が中国地方には点在しています。中国地方の小規模組織が対外侵攻して抗争に至ることは得策ではないのです。

 浅野組は岡山県西部に影響力を持っていますが、広島県東部の福山市にも影響力を持っています(*1)。中岡豊の出身母体である浅野組2次団体・中岡組の事務所は広島県福山市にあります(*1)。福山市は2017年1月末現在で、人口約47万人を抱える中核市です(*3)。福山市といえば、「パツ屋」という裏風俗が知られています(*4)。パツ屋ではマンションでの売春サービスが提供されており、40分1万2000円という相場料金が安いのも特徴です(*4)。また福山市では本サロという裏風俗サービスもあります(*4)。福山市にはヤクザ組織の関与できる裏ビジネスが存在しています。

 ちなみに中岡組では、若手組員には部屋住みが約7年課せられます(*1)。昔からヤクザ組織は組織人材として不良青年をリクルートしてきました。ヤクザ組織は不良青年に組織的規律を身に付けさせるために、事務所や親分宅で住まわせる「部屋住み」をさせてきました(*5)。不良青年を住まわせた上で、生活指導からしていくというものです(*5)。長らく「部屋住み」は「ヤクザ組織の教育システム」として機能してきました。しかし近年では部屋住みを実施しない組織が多くなっています(*5)。以上のことを踏まえると、中岡組の部屋住み期間が異常に長いことが分かります。その為、ヤクザ組織の組織人としては優秀な者が中岡組から多く出ていると予想されます。

<引用・参考文献>
*1 『実話時代』2014年11月号, p14-19
*2 警察庁「平成28年上半期における暴力団情勢」
*3 福山市サイト(https://www.city.fukuyama.hiroshima.jp/)
*4『週刊実話』2017年1月26日号「全国穴場射精スポット㉘ここでヌケ!」, p204
*5 『裏社会 噂の真相』(中野ジロー、2012年、彩図社), p56-67

ヤクザ組織の名前について

 現在、22の1次団体のヤクザ組織が日本で活動しています。1次団体は複数の2次団体で構成され、各2次団体はさらに複数の下部団体(3次団体)により構成されています。下部団体を含めると、日本には多くのヤクザ組織が存在しています。組織の数だけ、組織名称の数もあります。

 ヤクザ組織はどのようにして自身の組織名を決めているのでしょうか。主流な組織名としては、結成者つまり初代トップの名字をそのまま組織名として使用するケースが挙げられます。山口組2次団体・弘道会の有力下部団体・髙山組や野内組の組織名は、初代トップ髙山清司、野内正博の名字から由来しています。1次団体の山口組や稲川会の組織名も、初代トップの山口春吉、稲川聖城の名字から来ています。名字ではなく初代トップの名前を組織名にしている組織もあります。住吉会2次団体・幸平一家は、初代藤沢幸平の名前を組織名にしています。

 活動拠点とする地域の名前を組織名に取り入れるケースも多いです。稲川会2次団体・碑文谷一家、前橋一家の組織名は、東京目黒区の碑文谷、群馬県前橋市の地名から来ています。1次団体・住吉会の組織名も、東京の住吉という地名から来ています。また任侠道を意識した組織名もあります。1次団体・俠道会(広島県尾道市)、道仁会(福岡県久留米市)の組織名は、それを伺わせます。

 「ミックス型」の組織名もよく見られます。例えば、「結成者の氏名」+「上部団体トップの氏名」の組み合わせによる組織名です。現在弘道会会長の竹内照明は、先の髙山組内で2001年新団体(高山組下部団体)を立ち上げました(*1)。組織名は高照組です(*1)。高照組の組織名は、竹内照明の「照」と、髙山組トップ髙山清司の「髙」の組み合わせから来ていると考えられます。また「任侠道」+「上部団体トップの氏名」の組み合わせによる組織名もあります。神戸山口組2次団体・山健組の下部団体に邦侠会と邦心連合会という組織があります(*2)。邦侠会は、任侠道を感じさせる「侠」と、山健組トップ井上邦雄の「邦」の組み合わせから来ていると考えられます。また邦心連合会も同様の組み合わせから来ていると考えられます。「上部団体トップ氏名」を一部組織名に取り入れる利点として、「上部団体の威光」を組織名に持たせることができることがあります。

<引用・参考文献>
*1 『日本のヤクザ100人 闇の支配者たちの実像』(別冊宝島編集部編、2016年、宝島社), p100-101
*2 『週刊実話』2016年6月16日号, p37

会津小鉄会本部事務所には講義室がある!

 会津小鉄会が本部事務所を置く建物「会津小鉄会館」は京都市下京区にあります(*1)。1989年11月、四代目会長高山登久太郎の時代に、会津小鉄会館は建てられました(*1)。

 会津小鉄会館は約250坪の敷地にあり、鉄筋4階建ての内容です(*1)。1階の駐車場に大型外車30台を置けるほどの広さを持っています(*1)。4階には、170畳敷きの大広間があり、慶弔事はここで行われている模様です(*1)。

 加えて、会津小鉄会館には大学の教室に匹敵する講義室があります(*1)。2017年現在も、講義室が存在するのかは不明です。1989年当時の高山登久太郎会長の「極道にも教養が必要」という意図のもと、講義室が作られたとのことです(*1)。

 過去に、どんな講義があったのか、気になるところです。

<引用・参考文献>
*1 『ヤクザ大辞典』(山平重樹監修、週刊大衆編集部編、2002年、双葉文庫), p257
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