約5カ月後に明らかになった6億円相当の金塊窃盗事件

 今年7月福岡県JR博多駅付近で6億円相当の金塊窃盗事件が起きていたことが、12月14日、地元紙西日本新聞の報道で明らかになりました(*1)。事件当日、被害者らは前日に購入した金塊(約160キロ)を転売するために、博多駅付近の貴金属店に車で向かっていました(*1)。車を降りて複数のアタッシュケースに入った金塊を貴金属店に徒歩で持ち運ぼうとする途中、被害者らは警官らしき服装をした数人の男に制止されます(*1)。警官と信じてしまった被害者らはアタッシュケースを数人の男らに渡しました(*1)。警官らしき服装をした数人の男は、被害者らの隙を見て、アタッシュケースを車で持ち逃げしました(*1)。

 被害金額の大きさから、取り扱いの大きい事件になることは想像に難くありません。しかし発生から約5か月が経過した時点で、ようやく事件は公になりました。「空白期間」の約5か月に関して、疑問が上がることは必至です。裏には、様々な事情があると推測されます。「前日に6億円相当の金塊を購入して転売する」という行動も、一般人の行動からかけ離れています。考えられる話の1つとして、被害者らが事件発生直後に、警察に事件を通報しなかったことです。つまり被害者らが当初、事件を公にしない考えを持っていたということです。結果的に、被害者らでは金塊を取り戻せずに、遅れて警察に相談した又は警察に事件の存在を知られたことから、約5か月の空白期間が生まれたという説が考えられます。その説に従うと、被害者らは裏稼業に従事していた人物であると推測されます。

 近年、日本の裏社会では金の密輸ビジネスが流行しています(*2)。金は世界中で認められている極めて有力な動産です。よって世界中で、金の価格は同一です(*2)。しかし付加価値税(VAT)や消費税の有無によって、価格が変わってきます(*2)。密輸ビジネスはその差額を狙います。金に課税している国は、日本、韓国、インドだけであり、その他の国は基本的に非課税です(*2)。つまり香港で100万円分の金を購入して飛行機に乗り込み、日本の税関に申告せずにまた持ち込みが発覚せずに、日本の貴金属店に持ち込めた場合、密輸者は金を消費税込みの108万円で転売することができます(*2)。8万円の儲けとなります。「消費税8%」が儲けの核であるため、持ち込む金の価格が大きくなればなるほど、儲けは大きくなる仕組みです。特に香港は日本から近く交通費が安く済むため、金の調達先としてよく利用されています(*2)。しかし金を「旅客の荷物」として運ぶため、1回の密輸量には限りがあります。金の重さを考えると、1回1人数キロの密輸量が相場です。貴金属の現物販売業務を行っている第一商品株式会社の12月16日15時5分時点の金買取価格(1kg)は462万8千円となっています(*3)。仮に3キロ密輸して(450万円/キロとして)、日本の貴金属店で、消費税抜価格1350万円(消費税あり価格1458万円)で転売できます。つまり108万円の儲けとなります。未申告で税関に発覚した場合、「無許可輸入」となり、罰せられます(*2)。

 今回の事件に戻ると、窃盗されたのは約160キロの金塊でした。旅客を装う密輸で一度に調達すると、1人4キロの持ち運びとすると約40人の人数が要ります。裏稼業で、それだけの人数が集まるのか、疑問です。また約160キロの金塊の価格が6億円相当ということから、儲けは約4800円となります。人数をかけた割には、儲けの額が低い印象を受けます。被害者らが「前日に」購入したのではなく、コツコツとためていたのを、一度に転売しようとした可能性もあります。しかし窃盗されたように、窃盗リスクを重視する裏稼業の観点から密輸直後に転売するのが一般的です。密輸ビジネスで得た金塊とは考えにくいです。

 ともかく警察当局の捜査の進展が期待されます。

<引用・参考文献>
*1 『日刊ゲンダイ』2016年12月16日号(15日発行),p4
*2 『日刊ゲンダイ』2015年1月27日号(26日発行)「溝口敦の斬り込み時評<197>」
*3 第一商品株式会社サイト
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野球賭博の仲介者

 野球賭博という違法賭博において、「仲介者」が存在しています。文字通り、客と野球賭博主催者側(胴元)との「橋渡し」を行う者です。仲介者がいることで、胴元は摘発リスクを軽減することができます。2010年に起きた大相撲野球賭博事件で逮捕された元力士の古市満朝氏は、客である力士と胴元をつなぐ仲介者でした。仲介者は客から電話やメールで注文内容を受け、また賭け金を受け取ります。負けが込み借金を重ねる客に対する徴収作業も仲介者の役割です。(*1)

 野球賭博において、最初にハンデが一方のチームに課せられます。対戦する2チームで、相対的に強いチームにハンデは与えられます。例えばある日の巨人対ヤクルト戦において、巨人が有利だと判断される場合、野球賭博の胴元は「巨人の1.5」というハンデを設定します。ハンデが設定されているので、「野球賭博上の勝敗」は実際の試合の勝敗と異なってきます。巨人がヤクルトに3対2で勝利を収めても、野球賭博上では巨人には「1.5」のハンデ(つまりマイナス1.5点)が付くので、「ヤクルト2点、巨人1.5点」となり「ヤクルトの勝利」となります。ヤクルトに10万円賭けていた客は、全額没収されずに、逆に配当金を受けることができます。しかし巨人がヤクルトに5対2で勝利を収めた場合、「1.5」のハンデを追加計算しても「巨人3.5点、ヤクルト2点」となり、実際の勝敗結果と同様「巨人の勝利」となります。ヤクルトに10万円賭けていた客は、賭け金10万円が全額没収されます。逆に、この場合、巨人に10万円賭けた客は20万円の配当金をもらうことになります。ただし、1割(2万円)の手数料を胴元から引かれるので、取り分は18万円となります。(*2)

 野球賭博の精算は、週単位で、「日曜日締めの翌週月曜日」に行われます。野球賭博の精算行為は「ツケサゲ」と呼ばれています(*1)。

 大相撲の力士達が参加していた野球賭博を巡る件で、古市満朝氏は2010年恐喝・恐喝未遂容疑で逮捕され、懲役刑を受けました。2015年11月に出所した古市満朝氏は、週刊新潮2015年12月31日・2016年1月7日号の記事において、当時の大相撲界の野球賭博の実態を明かしています。記事の核心部分とは異なりますが、野球賭博の仕組みについて、古市満朝氏は興味深い所を語っていました。「(略)例えば、巨人・阪神戦で、自分は10万円を巨人に賭けようとしていたとする。そこへ、客が阪神に10万円を賭けてきた。この場合、自分で巨人に賭けるのは止めて客が阪神に賭けてきた10万円を握る。めでたく巨人が勝てば、その10万円はまるまる自分のものです。ただ、客の賭け金を全て握っていたら、客側が大勝した時に払えなくなってしまうので、賭け金の一部、あるいは大部分は他の仲介者や胴元に流す」(P45)と古市満朝氏は述べています。(*1)

 「握る」とは、客から預かったお金を仲介者が「賭け金」として処理しないで、自分の懐に入れてしまうことです。仲介者の「握り」により、「客の賭け金」は仲介者止まりになり、胴元まで辿り着きません。胴元にすれば、仲介者の「握り」により、1割の手数料を逃しています。古市満朝氏は「自分で10万円張って勝っても手数料を1割抜かれて9万円しかもらえへんけど、人が賭けてきた10万を握って勝てば10万まるまる儲かる。「この1割の差は大きい」と納得させられて、皆仲介者になるんです」(P45)と述べています。胴元にとっては、許せない行為です。(*1)

 ただ仲介者は胴元にとっては必要不可欠で、バレない範囲の少額であれば、許しているのが実態でしょう。仲介者の方も「握り」を加減しながらやっていると思います。「握り」にはリスクがあります。記事でも述べられているように、客の賭けた対象チームが勝った場合です。点差次第では、莫大な金を賄う必要があります。(*1)

<引用・参考文献>
*1 『週刊新潮』2015年12月31日・2016年1月7日号「「豪栄道」の負け金400万円から始まった!」, p42-46
*2『現代ヤクザ大事典』(実話時代編集部編、2007年、洋泉社), p192

野球賭博の配当金額の決まり方

 野球賭博の配当金額(没収金額)は、試合結果によって、決まり方が異なってきます。野球賭博の世界では、ハンデが存在する為、同じ試合でも「実際の試合結果」と「野球賭博上の試合結果」が異なる場合があります。例えば、巨人対阪神の試合で、「巨人の1.5」ハンデが付いたとします。実際の試合結果は、巨人が阪神に5対4で勝利を収めたとします。しかし野球賭博上では、「巨人の1.5」ハンデつまり巨人にマイナス1.5点が加わります。結果、野球賭博上では「阪神4点、巨人3.5点」となり、勝者は阪神に入れ替わります。野球賭博を理解する際、「実際の試合の勝敗結果」と「野球賭博上の勝敗結果」を区別して、考えることが重要です。

 ハンデは、対戦する2チームの中で相対的に強いチームに与えられます。日本の野球賭博において、ハンデは最大で2点ぐらいとされています(*1)。つまり強いチームに「マイナス2点」が、野球賭博におけるハンデの上限とされています。野球賭博において、賭けに勝った客は、最高で「賭け金2倍」の配当金を受け取れます(*2)。基本的に2倍より上の倍率はありません。ちなみに野球賭博において、胴元は客から1試合だけの賭博を受けることはなく、複数の試合の賭博を受けています(*2)。


① 実際の試合で、ハンデ無しチームが勝利したケース
 例えば巨人対阪神戦で、「巨人の1.5」ハンデが付いたものの、阪神が巨人に4対3で勝利を収めたとします。野球賭博上では、「阪神4点、巨人1.5点」となるので、阪神の勝利です。

・ハンデ有りチーム(巨人)に10万円賭けていた客(賭けに負けた側)
→賭け金全額の10万円が没収されます

・ハンデ無しチーム(阪神)に10万円賭けていた客(賭けに勝った側)
→「賭け金」(10万円)×「2倍」の計算式により、20万円の配当金を受け取れます
*しかし胴元から手数料1割(2万円)が引かれるので、18万円が手取り分となります


② 実際の試合で、ハンデ有りチームの1点差勝利のケース(野球賭博上でも勝利)
 例えば巨人対阪神戦で、「巨人の0.5」ハンデが付いて、巨人が4対3で阪神に勝利を収めたとします。野球賭博上でも、「巨人3.5点、阪神3点」となるので、巨人の勝利です。この場合、「賭け金」×「野球賭博上の点差」の計算式によって配当金額及び没収金額が決まります(*3)。

・ハンデ有りチーム(巨人)に10万円賭けていた客(賭けに勝った側)
→「賭け金」(10万円)×「野球賭博上の点差」(0.5)の計算式により、5万円の配当金を受け取れます
*しかし胴元から手数料1割(5千円)が引かれるので、4万5千円が手取り分となります

・ハンデ無しチーム(阪神)に10万円賭けていた客(賭けに負けた側)
→「賭け金」(10万円)×「野球賭博上の点差」(0.5)の計算式により、5万円が没収されます


③ 実際の試合で、引き分けやハンデ有りチームの1点差勝利のケース(野球賭博上では負け)
 例えば巨人対阪神戦で、「巨人の1.5」ハンデが付いて、巨人が4対3で阪神に勝利を収めたとします。しかし野球賭博上では、「阪神3点、巨人2.5点」となるので、阪神の勝利となります。「実際の試合の勝者」は巨人で、「野球賭博上の勝者」は阪神となったのです。野球賭博の世界では、「野球賭博上の勝者」に賭けた客が勝ちとなり、配当金を受け取る立場を得ます。つまりこの場合、「実際の試合に負けた阪神」に賭けた客が、配当金をもらいます。逆に、「実際の試合に勝った巨人」に賭けた客が、賭け金を没収されます。この場合も、「賭け金」×「野球賭博上の点差」の計算式によって配当金額及び没収金額が決まります。また引き分けの場合、ハンデ有りチームが当然野球賭博上では「敗者」となります。ハンデ無しチームに賭けていた客が配当金を受け取れ、ハンデ有りチームに賭けていた客は賭け金を没収されることになります。

・ハンデ有りチーム(巨人)に10万円賭けていた客(賭けに負けた側)
→「賭け金」(10万円)×「野球賭博上の点差」(0.5)の計算式により、5万円が没収されます

・ハンデ無しチーム(阪神)に10万円賭けていた客(賭けに勝った側)
→「賭け金」(10万円)×「野球賭博上の点差」(0.5)の計算式により、5万円の配当金を受け取れます
*しかし胴元から手数料1割(5千円)が引かれるので、4万5千円が手取り分となります


④ 実際の試合で、ハンデ有りチームの2点差勝利のケース(ハンデが0.3~1.7の場合)
 例えば巨人対阪神戦で、「巨人の1.7」ハンデが付いて、巨人が4対2で阪神に勝利を収めたとします。野球賭博上では、「巨人2.3点、阪神2点」と点差が縮まりますが、巨人の勝利です。ハンデが0.3~1.7の場合、ハンデ有りチームが2点差つけて勝つと、「賭け金」×「野球賭博上の点差」の計算式は用いられません。配当金額は賭け金の2倍、没収金額は全額となります。

・ハンデ有りチーム(巨人)に10万円賭けていた客(賭けに勝った側)
→「賭け金」(10万円)×「2倍」の計算式により、20万円の配当金を受け取れます
*しかし胴元から手数料1割(2万円)が引かれるので、18万円が手取り分となります

・ハンデ無しチーム(阪神)に10万円賭けていた客(賭けに負けた側)
→賭け金全額の10万円が没収されます


⑤ 実際の試合で、ハンデ有りチームの2点差勝利のケース(ハンデが1半3、1半5、1半7、2の場合)
*1半3、1半5、1半7のハンデ内容が複雑なので、ここは割愛させて頂きます


⑥ 実際の試合で、ハンデ有りチームの3点差以上勝利のケース
 例えば巨人対阪神戦で、「巨人の2」ハンデが付いて、巨人が5対2で阪神に勝利を収めたとします。野球賭博上では、「巨人3点、阪神2点」と点差が縮まりますが、巨人の勝利です。「ハンデの上限の2点」を超える3点差以上の勝利をハンデ有りチームが収めた場合、どんなハンデでも、ハンデ有りチームに賭けた客の「勝ち」となります。

・ハンデ有りチーム(巨人)に10万円賭けていた客(賭けに勝った側)
→「賭け金」(10万円)×「2倍」の計算式により、20万円の配当金を受け取れます
*しかし胴元から手数料1割(2万円)が引かれるので、18万円が手取り分となります

・ハンデ無しチーム(阪神)に10万円賭けていた客(賭けに負けた側)
→賭け金全額の10万円が没収されます


<引用・参考文献>
*1 [別冊宝島Real]『ヤクザより悪い男たち』(古市満朝、2016年、宝島社), p122~125
*2 『極道たちの塀の中』(小田悦治、1993年、にちぶん文庫), p58~60
*3 『現代ヤクザ大事典』(実話時代編集部編、2007年、洋泉社), p192

一般企業の資産を流出させるシノギ

 ヤクザ組織は暴力装置を活用する資金獲得団体です。暴力装置とは、法律違反を恐れない行動力や暴力の行使、服役生活に耐えうる人員の存在を指します。暴力装置ばかり注目される側面がありますが、ヤクザ組織は資金獲得団体、つまりお金を手にすることを目標に、存在している組織であります。ヤクザ組織は、「表社会のルール」では収まりきらない問題がよく起きる金融、不動産、土建、風俗などの業界に入り込み、「暴力装置の威光」と「暴力装置」を“販売”してきました。ヤクザ組織から「暴力装置の威光」を買った業者は、「暴力装置の威光」をもとに業界内のトラブルを解決していきます。いわゆるヤクザ組織が業者の「ケツを持つ」という関係です。時に、業者は「暴力装置」自体の利用もしてきました。昔、スナックなどの接待飲食店における「売掛金(飲食代のツケ)の回収」をヤクザ組織が実働部隊として担う場合がありました。『弘道会の野望 司六代目と髙山若頭の半生』(木村勝美、2015年、メディアックス)によれば、ヤクザ業界では「キリトリ」と呼ばれる行為です。ホステスで売掛金を回収できない困った客には、何か強い衝撃が必要となります。ホステス達の売掛金回収においては、「組員の強面の威圧」という「暴力装置」の需要があったのです。とはいえ回収された金全額がホステスの元に入る訳ではありません。「暴力装置」を利用した代償は大きいです。程度の差はありますが、回収された売掛金は折半されました(*1)。

 ヤクザ組織が会社経営に深く関与する場合もあります。深く関与される会社は、「企業舎弟」や「フロント企業」と呼ばれます。『実話時代』2015年1月号「弘道会の「強さ」とは何か」の記事内で、「弘道会では幹部組員のほとんどが正業の会社を経営するなどしているという」(36P)と述べられています(*2)。警察の取締りが厳しい昨今、ヤクザ組織自体が表立って活動することが制限されています。「身代わりの存在」としての企業舎弟やフロント企業は、ヤクザ組織にとって重宝されます。

 また近年では、ヤクザ組織とは縁遠い一般企業を乗っ取り、企業資産を流出させるシノギも現れています。ヤクザ組織の幹部が標的企業の株式を取得する訳にはいきませんので、影響下にある事業者などを利用します。まず標的企業の株式を取得させ、会社経営権を奪います。ヤクザ組織の影響下にある事業者が、収めた企業の経営をしていくことになります。持ち株会社に移行して、ビジネスを実際行う傘下企業から「経営指導料」「顧問料」「不動産賃貸料」という名目で金を親会社に吸い上げていきます(*3)。ビジネスを行う傘下企業は「余分な金」を取られる一方、ビジネスを行わない親会社は「余分な金」を手にする仕組みです。ヤクザ組織の影響下にある事業者達が居座る親会社から、さらに何らかの形で、その資金を社外に流出させていきます。上場企業であれば、新株発行による増資という手段も行います(*4)。株式市場からやってくる資金の多くは、本業に使われず、親会社に流れていきます。会社内の資金の流れには、違法性はないので、表面化しにくいです。しかし本来、本業に使われる資金が削られていけば、会社経営が傾くことにもなります。

<引用・参考文献>
*1『弘道会の野望 司六代目と髙山若頭の半生』(木村勝美、2015年、メディアックス、39P)
*2『実話時代』2015年1月号36P
*3『ZAITEN』2014年9月号「“アジアのマネロン王”に融資する邦銀にFBIの鉄槌」(山口義正、27P)
*4同上

ヤクザ組織と興行

 山口組は1957~1968年頃までの10年間、神戸芸能社という興行会社を運営していました。ヤクザ組織の運営会社ですが、合法的な興行を打っていました。所属芸能人として大物歌手の美空ひばり等がいました。地方都市での歌謡コンサートの開催及びプロレス試合興行によるチケット収入により、神戸芸能社は売上を得ていました。日本のプロレス界創生期において大きな役割を果たしたプロレスラー力道山の試合の興行も神戸芸能社が担っていました。神戸芸能社が芸能界で勢いを増している時に、山口組のトップを務めていたのが三代目組長・田岡一雄です。山口組と興行の関わり合いの歴史は古いです。山口組において興行を始めたのは初代組長・山口春吉(組長在任期間1915~1925年)でした。当時の主要芸能であった浪曲や相撲の興行に携わりました。

 山口組の興行を拡大させたのが、春吉の実子である二代目組長・山口登です。まず山口組の興行を展開する部隊として山口組興行部を設立します。山口登は1932年上京、大物興行師の永田貞雄と親交を持ちます。東京の芸能界にパイプを作ったことで、興行を活性化させる有名演者を確保しやすくなったのは想像に難くありません。また山口登は1940年、当時の浪曲界のスターである広沢虎造が起こした出演トラブルの仲介を、吉本興業から依頼されます。吉本興業とは、現在TVのバラエティー番組に多くの有名芸人を供給している吉本興業株式会社のことです。山口登が「神戸興行界の顔役」だけでなく、「全国興行界において重要な位置」にいたことを物語る話です。仲介の為、東京の浅草にある広沢虎造関係者の事務所に山口登が向かう際、広沢虎造出演トラブルを巡り対立する組織・籠寅組(現在の後継組織は合田一家)の組員により襲撃されます。山口登は死には至りませんでしたが重傷を負いました。2年後の1942年、山口登は死去します。しかし戦前の二代目組長・山口登時代(1925~1942年)に培った興行のノウハウ、全国の興行会社と結んだネットワークは、三代目時代の神戸芸能社の活動を大いに助けることになります。
*今回記事を作成するにあたり『実話時代』2015年10月号、11月号「芸能・興行界の大立者 永田貞雄という男 こうして戦後の興行界は動き出した」(猪野健治著)、『山口組の100年 完全データBOOK』(2014年、メディアックス)、『山口組 分裂抗争の全内幕』(盛力健児+西岡研介+鈴木智彦+伊藤博敏+夏原武、2015年、宝島社)の情報を参考にさせて頂きました。

 戦前及び戦後しばらくまでの時期、山口組以外のヤクザ組織も興行を展開していました。籠寅組組員による山口登襲撃の事件が示すように、ヤクザ組織のトップを狙うほど、ヤクザ組織において重要なシノギ(事業)でした。表面上の興行は、芸能人を管理・派遣する芸能事務所、興行師、地方興行を取り仕切る地元の興行会社の3主体によって担われていました。興行の主催は、地元の興行会社単独の場合や、芸能事務所との共催の場合もありました。また芸能事務所とA興行会社が契約した後に、A興行会社が興行権をB興行会社に売り渡すこともありました。「興行権の卸し」をする興行会社もあったのです。ヤクザ組織は地元の興行会社を直接的もしくは間接的に経営していました。また芸能事務所を経営するヤクザ組織もありました。神戸芸能社が典型的な例です。ヤクザ組織の専門稼業である賭博と異なり、興行は専門の興行師という「ヤクザ組織の外部」に頼る必要がありました。有名芸能人への出演依頼、演目の構成、集客など、興行には多くのことが求められます。ヤクザ組織が関与する興行会社は、興行師の協力なくしては、成り立たないのです。

 もちろんヤクザ組織自身が興行において果たす役割もありました。会場時の有名芸能人の身辺保護、客の誘導・整理など、警備業務はヤクザ組織により担われていました。警備会社がまだなかった時代、暴力装置を持つヤクザ組織にとって、警備業務は親和性が高かったです。加えて、ヤクザ組織の「営業力」も興行において大きな役割を果たしていました。特に博徒系ヤクザ組織は、賭場に遊びに来る旦那衆(つまり社長などの地域の金持ち)とつながりを持っています。旦那衆は、興行のチケットを一定数買ってもらえる存在です。旦那衆との日常的なつながりを有するヤクザ組織は、チケットの捌き役としては適任なのです。また暴力装置を活用し、魅力に欠ける興行チケットを無理に旦那衆に買わせることもヤクザ組織はできます。負の要素も多分に含みながら、当時のヤクザ組織には「営業力」がありました。そして芸能界側もヤクザ組織を頼りにしました。

 1955~1965年における全国の主要興行グループを北から南に見ていきましょう。北海道の興行は、本間興業の独壇場でした。本間誠一をリーダーとする本間興業は旭川を拠点として、函館、小樽、札幌等に30数館の小屋を所有していました。本間興業は、興行会社としては珍しくヤクザ組織とつながりはありませんでした。しかし北海道で興行を図る興行師は、最初に本間興業に足を運ぶ必要がありました。東北では、自由芸能という興行会社が大きな存在感を持っていました。関東では、興行激戦区である為、巨大な興行会社が生まれませんでした。信越地区の興行においては、シバタの独壇場でした。興行会社でありながら、シバタサーカスというサーカス団を展開していました。本拠地の新潟県新発田、山形県、福島県、群馬県などに、80館以上の直営館を展開していました。名古屋地区は、鵜飼興業が有名でした。鵜飼興業もヤクザ組織とは無縁でしたが、愛知県、三重県、岐阜県における興行において、ヤクザ組織との調整役を果たしていました。京都府、和歌山県、奈良県、北陸地方では、関西芸能が地元ヤクザ組織との仲介役として、存在感を発揮していました。大阪府、兵庫県、四国地方、中国地方は神戸芸能社の独壇場でした。1960年代前半、山口組は全国各地に進出していきます。多数の抗争を伴いながら、山口組は各地のヤクザ組織を吸収していき、広域団体としての礎を築いた時期です。進出するきっかけとして、用いられた方法の1つが神戸芸能社の興行です。神戸芸能社の興行を巡り、地元興行会社側つまり地元ヤクザ組織と揉める原因を作り、抗争に至るというパターンが繰り返されました。山口組の武力侵攻と神戸芸能社の動きはつながっていたのです。

 また興行界の業界ルールとして、同じ地域において、新規興行会社は既存興行会社の興行内容に重複しないことが求められました。例えば、既存興行会社がプロレスを扱っている場合、新規興行会社はプロレス興行をせず、歌謡コンサート等を興行とする必要がありました。また既存興行会社が多方面の興行を扱っていた場合、新規興行会社は既存興行会社の「下請け」として活動することになります。しかし1964年から警察庁が開始した第1次頂上作戦により、ヤクザ組織が関与する興行は公共施設で開催されなくなりました。当時、現在のように多数の人々を収容できる民間施設の会場はなく、興行の主な会場は体育館や大講堂などの公共施設でした。警察庁により公共施設利用不可となった事態は、ヤクザ組織にとって興行の撤退を意味していました。神戸芸能社の場合、1968年頃には活動停止に陥りました。1970年代以降、表立ってヤクザ組織が興行に関与することは減りました。しかし水面下では、ヤクザ組織と興行の関わりは残り続けています。
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