1日1回全力を尽くす

 昨日学校の専任の先生から、模擬テスト下位グループ(僕も入っています)向けに、資格試験に向けた話がありました。任意の者のみ、先生が作る会(塾)に入らせて、勉強させるということでした。その会に入ったら、課題を毎回仕上げてくることは当然、毎朝事前に決めた起床時間にメールすること、などが課せられます。

 また先生からは「勉強の仕方を変えてもらう」「ただ過去問の量をこなすだけの勉強はいけない」等を伝えられました。せっかくの機会、そして先生の熱い言葉に打たれて、入ることにしました。年末年始からペースを上げてきているので、自分でできるかなと思っていましたが。

 ただし「こなすだけの勉強」に最近なっていたのも事実です。学校という場にせっかくいるので。外部の刺激により、自己を変えられる機会があれば、変えていこうと思いました。

 ともかく明日から6時30分に毎朝メールです。そういう所から、しっかりとね、やっていきます。あとタイトルは、先生が今日配ったプリントに書かれていた言葉です。その通りに、勉強していきます!!
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会津小鉄会の内紛の調停者として稲川会の可能性を考えてみた

 京都の独立ヤクザ組織・会津小鉄会の内紛が続いています。内紛は、六代目会長馬場美次の後継者人事を巡る争いに端を発しています。人事争いの裏には、会津小鉄会の今後採るべき外交戦略を巡る争いがあります。神戸山口組と友好的関係を結ぶ意向の馬場会長派と、山口組と友好的関係を維持する意向の原田昇派の対立です。1月10日以降の内紛後、原田昇には会津小鉄会から絶縁処分が下された模様です。

 1月11日早朝、原田昇派が居座っていた会津小鉄会本部事務所(京都市)を、馬場会長派と応援部隊の神戸山口組の組員が急襲、原田昇派を追い出し本部事務所を占拠しました(*1)。対して、原田昇派を支援する山口組2次団体・弘道会の組員らが本部事務所を取り囲み、緊迫した展開になりました(*1)。結果、会津小鉄会本部事務所は現在京都府警の下、閉鎖されています。

 内紛が山口組と神戸山口組の「代理戦争」の意味合いを帯びる中、簡単に収まる気配がありません。京都を主に活動範囲とする会津小鉄会にとって、重要な「同盟国」は地理的上、山口組となります。1993年、会津小鉄会は山口組と親戚縁組をして、同盟関係を結びます(*2)。以降、1990年代に両団体の間で抗争があったものの、基本的には同盟関係を維持し続けてきました(*2)。

 山口組分裂の2015年8月以前、もし会津小鉄会で内紛が起きていれば、内紛の「調停者」として役割を果たしたのは山口組でした。山口組が「調停者」になりえたのは、当時会津小鉄会が「山口組の意向(調停内容)」を否定できなかったからです。会津小鉄会にとって、短期間の抗争を除けば長期に渡り山口組に対抗する力はなく、また「山口組と対抗できる他団体」が日本に存在しなかった以上、「山口組の意向」は最重要視するものでした。しかし2015年8月山口組分裂により、神戸山口組という「山口組と対抗できる他団体」が生まれた結果、山口組の「調停者」としての力は弱まりました。加えて、会津小鉄会の今回の内紛が山口組分裂に起因していることから、山口組及び神戸山口組は内紛当事者であり、「調停者」にはなりえません。「調停者」がいない以上、内紛が長引きます。

 しかし会津小鉄会内紛の「調停者」候補として考えられる団体が1つあります。稲川会です。会津小鉄会と稲川会は古くから親戚関係にありました(*3)。1986年7月、四代目会津小鉄会会長高山登久太郎の跡目継承式が会津小鉄会本部事務所で行われた際、他団体では親戚関係の稲川会だけが出席しました(*3)。式において稲川聖城総裁が取持人を務めました(*3)。また1985~1989年の山一抗争においては、会津小鉄会と稲川会が「調停者」の役割を果たしました。会津小鉄会の高山登久太郎会長が一和会側、稲川会の石井隆匡会長が山口組側を説得する役割分担をし、抗争終結に大きな働きをしました(*3)。1989年3月、滋賀県大津の高山登久太郎邸にて、山口組と一和会の幹部による最終的な話合いが行われ、山一抗争は終結しました(*4)。

 また1987年の日本皇民党事件においても、会津小鉄会と稲川会の関係性の深さを窺えるエピソードがあります(*5)。1987年、香川県高松市に拠点を置く右翼団体・日本皇民党は当時自民党実力者・竹下登に対して街宣活動をしていました(*5)。街宣活動を中止させるべく自民党側は1987年9月東京佐川の渡辺広康元社長に相談、結果渡辺広康元社長は稲川会の石井隆匡会長に街宣活動中止を依頼します(*5)。稲川会の石井隆匡会長は、会津小鉄会の2次団体・荒虎千本組の三神忠組長に、日本皇民党トップの稲本寅翁との橋渡しを依頼します(*5)。依頼を受けた三神忠組長は稲本寅翁と話し合い、結果日本皇民党は街宣活動を中止します(*5)。「稲川会・石井→会津小鉄会・三神」の経路の前に、自民党は浜田幸一衆院議員(かつて稲川会系列の組織に所属)に同様の依頼をしていました(*5)。「ハマコー」のあだ名を持ち強面で通してきた浜田幸一衆院議員は日本皇民党に説得にいきますが、断られてしまいます(*5)。「稲川会・石井→会津小鉄会・三神」の経路が、当時の裏社会において、非常に強い力を持っていたことを物語っています。稲川会にとって、山口組同様、会津小鉄会は「西日本における重要なパートナー」といえる存在だったのです。

 現在も、会津小鉄会と稲川会は何らかの関係を有しているはずです。ただし、当時から時間が経っていることから、現在両団体の幹部同士のつながりがどれだけ強いのかは分かりません。また2015年8月の山口組分裂以降、稲川会が山口組側の熱心な同盟団体として動いています。神戸山口組と友好的関係を結ぶ意向の馬場会長派にとって、稲川会による調停は好ましくありません。稲川会にとっても、山口組側に損をさせる調停案を出しにくい為、調停者の役を積極的には引き受けたくないでしょう。

<引用・参考文献>
*1 R-ZONE「菱のカーテンの向こう側2017「続報 六代目会津小鉄会でいま何が起こっているのか」」
*2 『実話時代』2016年9月号
*3 『実話時代』2016年8月号, p50
*4 『山口組の100年 完全データBOOK』(2014年、メディアックス), p212
*5 『現代ヤクザのウラ知識』(溝口敦、1999年、宝島社文庫), p131-133

国産ワインと日本ワイン

 国産ワインと日本ワインは明確に異なるものであることを最近知りました。

・国産ワインとは、海外産のブドウを原料に日本で造ったワインのこと
・日本ワインとは、日本産のブドウを原料に日本で造ったワインのこと
*『日刊ゲンダイ』2017年1月9日号「2017年は日本ワインで乾杯」からの情報

 両者の違いを分けているのは、ブドウの産地ということですね。なるほどです。

 ワイン…。実は昨年、外でクラスメートと飲んだ時、ワインを飲んで悪酔いしてから…。あんまり飲んでいないんですよね。その前までは、チリのアルパカのワインとか好きで飲んでたんですけど。安くて大助かりでした。

 日本ワイン飲んでみたいですね(悪酔いせずに気をつけるのはもちろん)。

会津小鉄会と山口組の関係

 会津小鉄会は、幕末~明治において京都で活動した大物博徒・上坂仙吉が組織した博徒組織・会津小鉄一家を「源流」としています(*1) (*2)。組織名は上坂仙吉が別名「会津の小鉄」と呼ばれていたことから由来しています(*2)。仙吉実子の上坂卯ノ松二代目の死後、会津小鉄一家は組織活動を停止します(*2)。時代が過ぎ太平洋戦争後の1960年代、京都の有力独立ヤクザ組織中島会が軸となり、京都各地の独立ヤクザ組織の集合体となる組織が結成されます(*3)。集合体組織(つまり上部団体)は中島連合会と名乗りました(*3)。上部団体の結成、つまり一本化に至った裏には、1960年代前半全国に侵攻する山口組の動きに対抗する狙いがありました(*4)。組織名が示すように、中島連合会トップの会長職には中島会会長の図越利一が就き、中島連合会を率いていきます(*3)。

 1975年、中島連合会は「会津小鉄会」に組織名を改称します(*3)。中島連合会の組織実態は、京都各地で活動するヤクザ組織の集合体です。中には、会津小鉄一家に関係する者もいたはずです。しかし多くの組員は、会津小鉄一家とは関係がありません。中島連合会が組織名に箔を付ける為に、「会津小鉄会」という名称を復活させたのです。また中島連合会会長の図越利一は自身を「会津小鉄会の三代目」と位置づけました(*3)。ちなみに図越利一は、1975年以降会津小鉄会において、会長職ではなく総裁職に就きました(*3)。1986年、「四代目会長」に髙山登久太郎が就く形で、会津小鉄会のトップが交代します(*4)。図越利一は「三代目」という当代ではなくなったものの、総裁職を留任します。図越利一は1997年の引退時まで、総裁職にいました(*4) (*5)。

 四代目から始まった会長職はその後、1997年図越利次が五代目会長に就任、2008年馬場美次が六代目会長に就任、と変遷していきます(*2) (*6)。会津小鉄会に対して、最も影響を及ぼしてきた他団体となると、地理的上やはり山口組となります。四代目会長髙山登久太郎体制の1993年、会津小鉄会は山口組と親戚縁組を結び、同盟関係になります(*2)。しかし1995年と1996年に銃撃による抗争が両団体の間で起きます(*6)。特に1996年8月、山口組2次団体・中野組組長を会津小鉄会組員が銃撃する事件が起き、世間を騒がせました(*6)。会津小鉄会は山口組と関係を深くする形で、事態を乗り越えていきます。

 1997年2月、図越利次の五代目会長就任時、当時の山口組組長渡辺芳則が図越利次の「後見人」となります(*6)。2005年10月、同年山口組長に就任した司忍が図越利次を「代紋違いの舎弟」とする形で、両団体の関係は結び直されました(*6)。2008年11月、馬場美次の六代目会長就任時、山口組若頭髙山清司が馬場美次の「後見人」となる形で、両団体の関係は再び結び直されました(*6)。山口組による「会津小鉄会トップの位置づけ」は、この間、1997年「山口組組長による後見」→2005年「山口組組長の代紋違いの舎弟」→2008年「山口組若頭による後見」と、変遷していることが分かります。1997年から2008年にかけて後見人が「山口組組長」から「山口組若頭」に地位が下がっており、「山口組と会津小鉄会との力関係」が山口組優位に変わっていることが分かります。

 2015年8月の山口組分裂以降、会津小鉄会の馬場美次会長は神戸山口組組長・井上邦雄と兄弟分との関係を重視して、馬場美次会長は山口組に対して「後見お断り」を伝えていたことが2016年10月明らかになりました(*2) (*7)。つまり会津小鉄会が、山口組との関係の見直しに至ったことを意味しています。

 警察庁によれば2015年時点の会津小鉄会の構成員数は140人です(*8)。一方、『実話時代』2014年5月号の資料では、会津小鉄会の構成員数は270人です(*9)。『実話時代』2014年5月号資料数字の基は警察資料によるものと考えられます。恐らく数年前(2014年より)の警察資料で、「会津小鉄会の構成員数270人」と記載されていたと推測されます。つまり会津小鉄会は近年構成員数を約48%(270→140人)も減らしています。構成員数減少の理由として、会津小鉄会固有の問題もあるかもしれませんが、「ヤクザ業界の環境変化」が主に挙げられます。暴対法を駆使した警察組織の厳しい取締りに加えて、2011年から本格化した暴排条例により、2010年代ヤクザ業界全体が縮小傾向に入りました。2010年全国のヤクザ組織の構成員数は3万6000人でした(*8)。2015年は、2万100人に大幅減少しています(*8)。5年間で全国のヤクザ組織の構成員数は約44%減少したのです。準構成員を足した合計人数においても、同様の傾向を示しています。2010年全国のヤクザ組織の合計人数は7万8600人でした(*8)。2015年は、4万6900人に大幅減少しています(*8)。5年間で全国のヤクザ組織の合計人数は約40%減少したのです。

 構成員数の減少から、会津小鉄会の組織規模の縮小が明らかとなっています。また2011年時点の情報では、京都で活動するヤクザ組織として会津小鉄会と山口組の2団体があり、会津小鉄会は420人(構成員数なのか、準構成員を含む合計人数なのかは分からない)、山口組は460人(構成員数なのか、準構成員を含む合計人数なのかは分からない)の組織人数を有していました(*10)。2011年時点で、山口組が会津小鉄会を組織人数で上回っていました。比較すべき昔のデータがありませんが、山口組勢力が近年京都の裏社会に浸食した結果と考えられます。

 会津小鉄会は歴史的に、他府県に外部進出し、他団体の縄張りを奪い取るという手法を積極的には取りませんでした。京都の裏社会においてのみ活動する会津小鉄会にとって、近年の山口組の京都浸食は大きなダメージだったと考えられます。

<引用・参考文献>
*1 『FOR BEGINNERS シリーズ ヤクザ』(朝倉喬司、2000年、現代書館), p76
*2 『実話時代』2016年9月号
*3 『日本のヤクザ100人 闇の支配者たちの実像』(別冊宝島編集部編、2016年、宝島社), p74-75
*4 同上, p186-187
*5 『現代ヤクザ大事典』(実話時代編集部編、2007年、洋泉社), p160-161
*6 『実話時代』2015年7月号, p39
*7 『山口組 分裂抗争の全内幕』(西岡研介+鈴木智彦+伊藤博敏+夏原武 ほか、2016年、宝島SUGOI文庫), p171
*8警察庁「平成27年の暴力団情勢」
*9『実話時代』2014年5月号
*10『実話時代』2017年2月号「全国指定二十二団体最新版勢力地図」(人数はすべて警察資料による)

挨拶は大事なんですけどね…

 今週は学校で資格試験対策の授業があるので、クラスメートが久しぶりに顔を合わせました。そこで、改めて気になったのが、挨拶できない人が多いなということです。

 彼ら彼女らも一応「あいさつ」はしていますが、自分の親しい人だけ限定です。正直、見ていて、違和感というか、変な感じです。

 僕は初めからクラスメート全員に対して、大きい声で挨拶するようにしています。確かに「職場じゃないんだから…」という意見もあるかもしれませんが、一緒に机を並べて、色々協力していく仲間に対して、やはり挨拶はキチンとするのが大事だと思っていました。

 ただそう思わないクラスメートが多くて、挨拶の仕方から雰囲気の悪さを感じることが多かったです。

 正直、僕からすれば挨拶は勇気を持ってするだけなので、特に能力もいらないので、積極的にやればいいと思うのです。毎日やっていれば、「挨拶がちゃんとできる人」と認識されて、自然とあちらから良い挨拶をしてくれるようになります。

 ただ正直、「なってない人間」も何人かいるのは事実で。今日も僕が挨拶したのに、マスクしてたせいか、返しがないという…。まあそんな人には、挨拶したくなりますよね。

 社会人でも、正直挨拶できない人は結構います。だからこそ、きちんとやれば、ちょっとした信頼を作れると思うんですけど。

 失礼な人間は、いずれ淘汰されます。

 自分はどんなことがあっても、元気に挨拶していこうと思います。
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Author:黒田太郎
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